Relife mode(リライフモード) くらしを変えるきっかけマガジン http://www.rehouse.co.jp/relifemode/feed/ 「Relife mode(リライフモード)」は、リライフ(=人生の再スタート、新しい暮らし)をテーマにした、ライフスタイルマガジンです。 ja 三井不動産リアルティ株式会社 Thu, 07 Dec 2017 22:53:13 +0900 <![CDATA[私の日本家屋 | 高知県嶺北地方に建つ、築100年の古民家の暮らし(前編)]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/lifestyle/j-folk-house/j-folk-house-1 ライフスタイル 「四国のおへそ」で始めた築100年の古民家の暮らし

Chapter.01

story_illust 高知空港から60分ほど車を走らせると、四方を山に囲まれた高知県嶺北(れいほく)地方に辿り着く。嶺北地方とは土佐町、本山町、大豊町、大川村の4町村から構成される地域のことで、地図で見るとちょうど四国の真ん中に位置することから「四国のおへそ」と呼ばれている地域だ。 四国三郎の異名を持つ吉野川が流れ、激流ポイントを利用したラフティングやカヌーなどのレジャーが人気を呼ぶほか、牧歌的な山村の景色を映し出す棚田群、梶ヶ森の幻想的な雲海など見どころも多い。また、標高200~1800m、地域の約90%を森林が占める山間エリアでありながら、学校や病院、銀行、スーパー、飲食店といった生活に便利な施設が揃い、田舎暮らしを志す移住者が年々増加傾向にある地域としても知られる。 そんな嶺北地方のひとつである土佐町に、紅葉で色づく山村の景色に溶け込むように一軒の日本家屋が佇んでいる。4コマ漫画エッセイストなど多方面で活躍中のヒビノケイコさんが、「NPO法人れいほく田舎暮らしネットワーク」を運営する夫の川村幸司さん、長男の草生太(そうた)くんと暮らす築100年の古民家だ。実は嶺北地方は、夫・幸司さんの生まれ故郷で、この古民家は生家だという。古い日本家屋で暮らし始めて11年、その悲喜こもごもを伺った。
story_img1紅葉に染まる嶺北地方の美しい自然の景色
story_img2ヒビノさんが暮らす古民家。日本瓦と焼杉壁の外観が印象的

新しい家族の誕生をきっかけに、大好きだった夫の生家へ

Chapter.02

ヒビノさんが夫・幸司さんと高知県嶺北地方で暮らし始めたのは2006年。それまでは京都郊外にある古寺を借りて自給自足的な暮らしをしていたという。「京都では芸術系の大学で陶芸の勉強をしていましたが、素材である土を取り寄せて作品を制作することに違和感を感じて……。自分で土作りから行いたいと思ったのをきっかけに、当時付き合っていた夫と土に近い暮らしを志すようになりました。お寺では自分たちで居住空間を修繕しながら薪割りをしたり、薪ストーブで料理の煮炊きをしたり、畑を耕したり、そんな自然に近い暮らしをしていましたね」とヒビノさん。 その後、結婚して子どもを授かったのを機に、さらに田舎へ移り住んで腰を据えた暮らしをスタートさせたい想いが生まれた。そして、日本全国を対象に場所探しを始めた。もちろん、希望する家は日本家屋。昔から陶芸や茶道など和のものに触れる機会が多く、また、新しいものよりも古いものに心惹かれて骨董品をコツコツと集めていたヒビノさんにとって、築年数を重ねた日本家屋に暮らすことは憧れだったという。「実際に信州や九州まで足を運んで下見もしました。ですが、私たちが悩んだ末に出した結論は“やっぱり、あそこしかない”でした」と振り返る。「あそこ」とは、夫・幸司さんの生家。ヒビノさんにとっても一番大好きな場所だった。
story_img3縁側のサッシは近所の解体した家から譲り受けた歪みガラスの戸に取り替えた
story_img4好きな小物を飾り、客人を迎えるヒビノ家の玄関

“心地よい”暮らしを求め、約20年空き家だった日本家屋をリフォーム

Chapter.03

今ヒビノさんが家族と暮らす古民家は、大学時代から夏休みにたびたび訪れ、幸司さんの祖父母と過ごした思い出の詰まった場所。「おじいちゃん、おばあちゃんと農作業をした後、この家の茶の間で甲子園を観るのが恒例でした。初めて来た時から、落ち着くな、いいなと、ここで過ごす時間が好きでした」と懐かしそうに振り返る。 だが、その頃すでに幸司さんの家族は別宅を新築し、この日本家屋は農作業の休憩時に使うくらいで、20年ほど空き家になっていた。普通に暮らすことは出来ても、“心地よさ”を求めて暮らすためには、それなりのお金をかけて修繕と改築を行う必要があった。 「長い期間、空き家になっていたので、基礎部分は地元の大工さんに見てもらって必要な箇所を修繕してもらいました。屋根瓦も日本瓦のゆがみやずれを正すために杉皮をいったん取って、防水シートを敷き、もう一度日本瓦を戻すなど、けっこう大幅に手を加えましたね」
story_img5もともとの建具を生かしながら、生活がしやすいように改修を進めた
story_img6 屋根も味わいを残しながら日本瓦に新しく葺き変えて生まれ変わった
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Mon, 11 Dec 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[旅する人に聞いてみた | 「死ぬまでに行きたい! 世界の絶景」 プロデューサー・詩歩さんの“住まいへの価値観”]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/interview/trip/zekkei-1 インタビュー 「きっかけは新卒での研修」“絶景”を仕事にするようになったワケ

Chapter.01

––普段はどれくらいの頻度で現地に行かれているのでしょうか。 だいたい1カ月間のうち、1週間は海外へ行き、2週間ぐらいは国内、そして残りの1週間は家で過ごすことが最近では多いかもしれません。仕事上、どうしても家で過ごす時間は少なくなってしまいますね。 ––国内外問わず旅に出ていることがほとんどなのですね。現在の仕事を始めるようになった経緯を教えてください。 大学を卒業して新卒で入社したインターネット広告会社での研修がきっかけでした。Facebookページを立ち上げて、「いいね!」の数を競うという課題が出たんです。私はコンテンツを趣味の「旅行」にしようと思い、パッと見て目を引くような絶景写真を紹介することにしました。そこで、いろいろな方に「いいね!」をもらえたことが嬉しくて、現在の「死ぬまでに行きたい! 世界の絶景」を主軸とした仕事をするようになりました。 ––これまで行かれた中で、一番印象的だったスポットはどこでしょうか。 なかなか一番は決められないのですが、ある意味印象深かったのはエチオピアにあるダナキル砂漠でしょうか。海抜マイナス100m以上という、海面よりも低いところにある世界一過酷な場所のひとつなんです。真夏には気温が50度を超え、「人類が住める最も暑い場所」としてギネス記録に登録されているほど。私は5月に行ったのですが、そこまで酷暑にならなかったのが救いでしたね。
story_img1ダナキル砂漠。塩分や硫黄、カリウムなどを含む温泉が地表に噴出し、黄色や緑など鮮やかな色の結晶となってできている
過酷だといわれているのは気温だけではなく、いくつもの理由があります。まず、ここは3日間野宿しないとたどり着けない場所です。トイレやシャワーはもちろんないですし、移動中は簡易ベッドを外に敷いて寝袋で寝ていました。外で寝たのは初めての体験でしたね。おまけに、ダナキル砂漠はプロの武装強盗が出没する恐れがある危険地帯です。万が一に備えて、銃を所持した兵士と共に行動しなければいけないエリアもあります。そのため、ツアー単位でないと個人では行くことができません。とはいえ、ツアーの指示に従って決まりさえ守っていれば、とくに危険な思いをすることはありませんでした。 story_img2 やっとの思いで到着した先に待っている極彩色は、人工では作り出せない自然ならではの美しい景色でしたね。この物質は触ってはいけない危険物質でもあるのですが……。とにかく全てが過酷で危険もあるのですが、他では見られない絶景は見ごたえがありました。
story_img3ダナキル砂漠にある火山の噴火口からはマグマを見ることもできる

「初めてのひとり旅では毎日帰りたかった」 それでも感じた“現地に足を運ぶ価値”

Chapter.02

––もともと小さいころから旅行が好きだったのでしょうか。 そもそも旅行にあまり行ったことがなく、初めて海外に行ったのも大学生のときでした。国際ボランティアのプログラムに参加するために、1カ月間イタリアにひとりで行きました。当時は何も知らなさすぎて、ひとりで海外に行くことに対して怖いという認識すらなかったんです。イタリア人がイタリア語を話すことすら知らなかったので、今思えば当時の自分が恐ろしいなと思います(笑)。ボランティアのプログラム期間前後でひとり旅をして、ローマやフィレンツェ、ヴェネツィア……とさまざまな場所を巡りました。
story_img4ジョットの鐘楼から見渡せるフィレンツェ市街地の景色
story_img5ミラノ・ドゥオーモ前の広場
しかし、言葉も通じないし、スリなどの治安も心配。滞在中は毎日のように帰りたいと思っていました。ただ、その中で、歴史的な遺跡や建造物に触れられたことが自分の心に強く残ったんですよね。歴史が好きだったので、時を越えて世界的な遺産に触れられる感動がありました。海外に長く滞在するのはなかなか大変ですが、実際に現地に行ってみるのはいいものだと思いました。 当時は絶景に対してはさほど興味がなかったのですが、歴史が好きだったのでもっと古代の文化や遺跡に触れてみたくなりました。そこで、2カ国目はエジプトに行きました。]]>
Mon, 20 Nov 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[Share 2 LIFE | 恋愛ってあるの? ケンカしないの?]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/lifestyle/share2life/share-1 ライフスタイル story_illust

仕事で嫌なことがあってもシェアハウスに帰ると「まあいいか」と思える

Chapter.01

story_img1 出迎えてくれたのは、住人の栗山和基さんと阿部珠恵さん。鈴木さんは仕事でもうすぐ帰宅されるとのことで、早速まずはおふたりにインタビューをスタート。 ––おふたりがシェアハウスに住むことになったきっかけを教えてください。
阿部さん
私は今から約7年前、会社の同期の子と妹と3人でシェアハウスを始めたのがきっかけです。大学生のころまでは、ひとり暮らしでも友達とワイワイ過ごしていたのに、働き始めてからのひとり暮らしはとても寂しくて。そこで、会社の同期と仲が良かったので、その子と一緒に暮らしたら楽しいのではないかと思って、同期の妹も誘い、3人で暮らし始めました。
––確かに社会人になりたてのころは自由に使えるお金も限度がありますし、ひとりで過ごすのも寂しいですよね。
阿部さん
そうなんです。実際にシェアハウスに住んでみたら想像以上におもしろかったです。
story_img2 ––「トーキョーフルハウス」に住むようになったのはなぜですか?
阿部さん
実は、その一緒に住んでいた同期の子が栗山君と結婚することになったんです。結婚したら解散するかな? と思っていたのですが、その同期が「結婚してもシェアハウスで暮らしたら面白くない?」と言い出して。それで、大きな家を探していたところ、今の物件の借り主を探しているという話が舞い込んできました。広い家だったのでいっそのこと、友だちも誘っていろいろな人たちと一緒に住んだら楽しいのではないかと思って、ここに引っ越してきました。

結婚してひとつのシェアハウスに引っ越し

Chapter.02

––阿部さんの同期の方が栗山さんの奥様だったんですね。 story_img3
栗山さん
そうなんです。僕が初めてシェアハウスに住んだのは学生のころです。当時は安く住めればいいなと思って、友達と大学の近くに住んでいました。でも、お金の面だけでなく、日々の生活の中でお互い助け合えることの良さに気づきましたね。社会人になってからはまた別のシェアハウスに住んでいたのですが、そんななかで妻と出会ったんです。その後は、先ほど話したとおり、元からふたりともシェアハウスに住んでいるんだから、結婚してもシェハウスでいいのでは? ということになり、今に至ります。先日、子どもも産まれて、現在は妻が里帰り中なのですが、これからは家族3人でシェアハウスに住むことになります。
––そうなんですね! お子さんも一緒に住むなんて、なんだか不思議な感覚です。おふたりが実際にシェアハウスに住んでみて良かった点を教えてください。

シェアハウスで暮らすと悩みが減る

Chapter.03

阿部さん
仲間が増えることです。職業も育った環境も全く違う人と一緒に住むのが刺激になるし、気晴らしにもなります。仕事の悩みをガッツリ相談するわけではないけど、仕事でつらいことがあって帰ってきた日も住人とちょっと話したりすると気分転換になって「まあいいか」という気持ちにさせられるんですよね。
栗山さん
うん、どんな人でもため息をつきたくなるような落ち込む日もあるじゃないですか。でも、帰ってくるとリビングで大学生が腹を出して気持ち良さそうに寝ていたりするんです(笑)。そんな光景を見ると、嫌な気持ちもどうでも良くなるというか。
––他の人たちと一緒に暮らすとなると、規則が厳しくて寮生活のようなものを想像していたのですが、そんなこともないのですね。
阿部さん
そこはシェアハウスにもよると思います。細かいルールを取り入れているところもあるかもしれませんが、うちは友達同士で住んでいるので、家事への細かなルールなどもあまりないですね。
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Mon, 13 Nov 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[うちのリハウスガール|No.040町中来夢さん]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/rehousegirl/r040 うちのリハウスガール Thu, 09 Nov 2017 00:00:00 +0900 <![CDATA[うちのリハウスガール|No.039日高優希さん]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/rehousegirl/r039 うちのリハウスガール Mon, 06 Nov 2017 00:00:00 +0900 <![CDATA[Tokyo go my own way | 日本モダンガール協會代表 淺井カヨさん]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/interview/tokyogomyownway/moga-1 インタビュー 具体的にどのような活動をされていますか?

Question.01

モダンガールが生きていた時代について調査・研究し、文章を書いたり、講演会で話したり、美術館の展示のために資料を提供したり、いろいろな活動をしています。 昭和初期の文化住宅を可能なかぎり再現した自宅を新築しましたので、この家を利用して蓄音器コンサートと建物案内の催事を開いています。 結婚前まで事務員として働きながら研究をしていたのですが、今はこういったことで仕事を頂けるようになり、これで暮らしていけるように模索中です。 story_img1

モダンガールに夢中になったきっかけは?

Question.02

そうですね。小さいころから古いものに惹かれるところがありましたね。 農家をしていた祖父母が住んでいた家は昭和30年代に建てられた家でしたけれど、農機具などは明治・大正、江戸時代の古いものまでありました。そういう環境に影響を受けたのでしょうか、古いものを見ていいなあと思いながら育ちました。ちなみに、家の柱時計は祖父母の家にあったものを持ってきたので、昭和初期のものです。 story_img2 初めにこの時代を意識したのは小学生のころ。日本大正村(※1)と博物館明治村(※2)の建物を見て感動したんです。 ※1 日本大正村:岐阜県恵那市明智町の街中に点在する、大正時代の雰囲気を保存・再現した店舗や博物館などを総称して日本大正村としている。女優の竹下景子が3代目村長を務めている。 ※2 博物館明治村:愛知県犬山市にある野外博物館。明治時代の建造物を移築し保存、公開している。作家の阿川佐和子が4代目村長を務めている。 そのあと、中学1年生の頃だったと思いますが、アンティーク風の鉛筆削りを持っている同級生がいまして、いいなあと思い、骨董品を復刻して安く作ったものを探したり、本に載っている古地図をコピーしてブックカバーにしていました。高校に上がると自分で骨董市に行くようにもなりました。 ただ、モガを意識したのは大学生のころ。美術課題で大正時代の絵師について図書館で調べているときに、当時の挿絵画家が描いたモダンガールの絵に出会ったんです。それまでは、漠然とこの時代が好きだったのだと思うのですが、洋装をした女性の姿にはっきりと憧れを感じた最初です。 story_img3 story_img4

それからずっとモガの格好を?

Question.03

いいえ。学生時代はモガに目覚める転機ではありましたが、別のことに興味を持っていて、それでこころが離れた時期もありました。 小学生のころから日本大正村よかったねと友だちに言っても「ふーん」という感じで、何回も通っているのは私くらいなもの。あまり理解されませんでしたね。だからか、この時代が好きだということはあくまで心の中で感じることであって、今のように生活の多くを当時の時代に合わせるということはありませんでした。 story_img5

様相や生活様式まで当時に合わせ始めたきっかけは?

Question.04

2004年の1月に、ある会社で働くことになったのですが、そこで出会った方が、まさにそういう趣味の方でした。服や鞄など昔のものを実際に使い、写真も加工して昔のものに見えるようにしていたんです。その方の影響が強くあります。自分も、もっと実践してみたいという気持ちが湧いたんです。 そして同じ年の4月、今度は大正時代風の格好をした人だけの花見会に参加してみたのです。すると、自分と同じような時代を愛好する人が多くいるわけですね。仲間というか、案外同じような趣味の方がいるもんだと感じたんです。それに、洋装が凄くしっくりきた。それがきっかけとなり、今のようにモダンガールのような格好をすることになりました。 story_img6 生活の多くが当時の様式に染まっていったのは、そのあとのこと、当時一緒に生活していた方と離れて、一人暮らしを始めたころからです。埼玉県の狭山市にある、昭和30年代の小さな一軒家を借りました。そこの近くに骨董品店があり、そこで氷冷蔵庫や火鉢といった古いものを買い、生活に取り入れるようになったんです。値段は「淺井さん決めてください」と言うような店でしたので、古い物をどんどん購入していました。 そのあとは大正10年の洋館を間借りし、そこが立ち退きになり、昭和初期のアパートに住むことになり、そして今に至ります。
story_img19以前住んでいた、昭和初期に建てられた住居

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Mon, 30 Oct 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[僕らが東京で見た景色 | 六本木でモエ・エ・シャンドンを]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/tokyo/story-3-1 ストーリーエッセイ 「ベタだねえ、どこまでも、ベタだねえ」 彼女は皮肉を言いながらも、やたらと上機嫌だった。 港区・六本木。ザ・リッツ・カールトンに入っているレストランで夕食を終えると、エントランスに停まっていたタクシーに飛び乗った。ふたりで1本空けたモエ・エ・シャンドンが、心地よく脳を揺らしている。 story_img2 青色の発光ダイオードで彩られた通りを抜ける。大きな交差点に差し掛かると、出会って早々に腰に手を回す黒人男性と、若さを一番の売りにしたような女性が信号待ちでキスをしていた。その前を通過し、次の目的地である東京のランドマークを目指して車は進む。 「なんでさあ、東京タワーが、東京の中心みたいなんだろうね?」 窓越しに微かに見えた、赤いてっぺんを眺めながら彼女が尋ねる。 「スカイツリーの方が、高さもあるし、新しいじゃん。もう主役はそっちになってもいいのに」 「んー、色じゃない?」 僕は適当に答えを考える。 「色?」 「戦隊モノの主人公は、いつだって赤だから」 「ああ、なるほど?」 彼女を納得させたことが、少しだけ誇らしかった。 今日は、最後まで自分のペースでいたい。付き合って4回目の記念日。この日に彼女にプロポーズすることを、半年前から虎視眈々と企んでいたからだ。たとえそれが彼女にバレていたとしても、僕はプロポーズをする男性として、毅然とした態度でいたいと思っていた。 切り出したのは、先月の日曜だった。 story_img3 2年住んで慣れ親しんだ高円寺の1LDK。彼女の作るスクランブルエッグに、レタスとトマトのサラダ、僕が見つけてきた精肉店の生ハムに、ローソンで買ってきた惣菜パン。「たまには朝食らしい朝食を」とふたりで話した末に揃えた料理を、ダイニングテーブルに並べたところだ。 「今度の記念日だけど、ホテルのレストランとか、どう?」 少し遠慮がちに切り出したのは、これまでの記念日デートにおいて、僕があげたプランが通ったことはほぼほぼなかったからだ。 箱根旅行を提案した結果、ディズニーランドになった一年目。星野リゾートでお泊まりを提案したところ、沖縄旅行になった二年目。自宅で過ごそうと言ったのに、オーストラリアに行った三年目。いつも彼女の修正案に僕が折れた。 そもそも“記念日に行きたい場所”なんて、僕にはそんなに願望がなかった。お互いが彼氏・彼女であることを再認識できる日であるならば、場所はどこだって関係ない。これは負け惜しみでも何でもなく、本音の本音だ。 でも、4回目の記念日を迎える今回ばかりは、どうしても自分の意思を通しておきたかった。プロポーズのシチュエーションは、結果に大きく左右すると思っていたからだ。 「ああ、ベタだけど、いいかも。都内のホテルってことだよね? リッツ・カールトンとか?」 返事は、意外なほどあっさりと返ってきた。過去の経験を考えてみても、ここまであっさりと決まったことは初めてだった。ところが、さらに驚いたのは、次の彼女の一言だ。 「そこで、プロポーズかな」 コーヒーを噴き出しかけた。冗談で言っているのか、脅迫のつもりなのかよくわからない。ニヤニヤとこちらを見つめながら、彼女はそう言った。 「まあ、そうかもしれないね」 早々に見透かされたことに動揺しながらどうにか濁そうとするが、もう遅い。 「そっかあ、私たちも、結婚かあ」 うれしそうだった。大きく伸びをしながら、満足げに彼女は言う。これでは当日のサプライズも何もない。むしろ、既に彼女も結婚するつもりになっていることがビシビシと感じられた。それは、つい2~3年前の彼女だったら考えられないことだった。あれほどドラマチックで可憐に生きることを望む人が、プロポーズに関してここまでドライだとは、正直驚いた。 「場所はどこでもいいよ。楽しみにしてる」 「プロポーズするとは一言も言ってないけどね?」 「はいはい、わかりました」 洗い物の食器を重ねる音すら、どこか陽気な音楽に聞こえた。 ドラマチックでもなんでもないシーンなのに、僕にはそれが極上のクライマックスシーンのようにも思えた。]]> Mon, 16 Oct 2017 00:00:00 +0900 <![CDATA[Tokyo go my own way | ゲイカップル たぁ坊さん / さゝめさん]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/interview/tokyogomyownway/gomyownway-1-1 インタビュー 付き合い始めたきっかけは?

Question.01

さゝめさん
新宿2丁目で、もともと知り合いだったよね。でも、当時はお互い恋人がいたから、ずっと知り合いというか、友だちみたいな感じで。
たぁ坊さん
しばらくそんな関係だったんですけど、僕に新しい恋人ができたときに、彼が会いに来たんです。「あんなのやめて、こっちに来い」って言われて(笑)。そのあと、彼が僕のためにアパートを借りてくれて、そこに住むようになりました。
さゝめさん
だって、新しくできた恋人っていうのが、挨拶もしないような男だったから。最初は一緒に住んでいたわけじゃなくて、私に恋人がいたから、愛人みたいな状態がちょっとあって。でも、一緒に暮らすことが決まったので二人で引っ越したんです。
たぁ坊さん
そんな感じだから、いつから付き合ったっていうのがないんだけど、大体一緒に暮らし始めたのがこれぐらいだったかなっていうので、10月20日が二人の記念日になってるんです。
story_img1

いまの暮らしに至る経緯を教えてください。

Question.02

さゝめさん
二俣川へ来たのは1年くらい前。その前は相模原に住んでたんです。その頃はお互い会社員をしてたの。最初に同棲を始めたのは都内でした。出会ってすぐの頃は私が商売をしていて、たぁ坊に毎日焼肉を食べさせてた。でも、私の商売がうまくいかなくなってから、家賃の安い相模原へ移り住んだの。
たぁ坊さん
そのときは、突然生活が一変して。電気・ガス・水道の全てが止まったんです。そんなこと、普通に暮らしてたらないでしょ? 当時僕は介護士として働いてたんだけど、そのお金も丸々、彼の事業のほうへ回して。だからお金が全然なかった。食べるものにも苦労しました。
さゝめさん
毎日同じ焼肉のお店に行ってたのに、パッタリ行かなくなったら、お店のお母さんが心配して電話をくれて。何があったか言わなかったけど、きっと察してくれたのね。「閉店間際に来てご飯食べていいから、その代わり私の飲み相手になりなさい」って。
たぁ坊さん
そのお店のお父さんも、職人気質で全然喋らない人なんだけど、ご飯やお肉をたくさん準備しておいてくれて。発注しすぎちゃったから、持っていけって。でも普通、牛ロースを2kgも間違えるなんてことないでしょ?
さゝめさん
いろんな人に助けてもらったなと思う。もちろん、たぁ坊にも。ある日帰ったら、メゾネットの階段にロウソクが灯してあったの。電気が使えないから、ロウソクを点けてたのね。それで、「こんな暮らしでごめんね」って言ったら、「ロウソク、きれいだからいいじゃん」って言ってくれて。
story_img2

引っ越しのきっかけは?

Question.03

さゝめさん
もともと、このテナントにあった日本酒バーに依頼されて、二人で週一でマスターをしてたんです。それで繋がりができて。そのお店を畳むようだったので、自分たちが二人でお店を開くことになりました。
たぁ坊さん
この辺飲み屋は多いけど、ゲイバーはうちだけなんです。お店終わりの女の子たちが集まるお店になりました。あとは地元の人も来てくれて、まだ1年経ってないのに、たくさんキープボトルが増えた。自分たちでもびっくりしています。
さゝめさん
若い子たちが、仕事終わりの深夜3時頃に電話してきて「ご飯ある?!」って聞くのよ(笑)。だから、1000円で定食を作ってあげてるの。
たぁ坊さん
うどんしかないときもあるし、ブリの刺身が出ることもあるね。冷蔵庫に残ってるものでメニューが決まるから。
さゝめさん
夜まで仕事して、こうしてお店に来ておいしいおいしいって言ってくれるから、食べさせてあげたいなあって思うのよね。自分がいろんな人に温かくしてもらったから、そのお返しってわけじゃないんだけど。

お休みの日は何をしてますか?

Question.04

たぁ坊さん
僕は家が大好きなんで、引きこもって本を読んでる。朝起きたら灰皿用意して椅子に座って本を開いて、「ああ、いい本だったな」って読み終わる頃に日が暮れる、みたいな。
さゝめさん
私は逆。呼ばれたらどこでも人に会いに行ったり、お店へ行ったり。これまでいろんな人からお世話になってきたから、頼みごとやお呼ばれは断らないようにしてるの。人と会うことが好きだし。
たぁ坊さん
正反対なんです、僕たち。
story_img3 story_img4]]>
Tue, 10 Oct 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[僕らが東京で見た景色 | 喧嘩するのは高円寺、仲直りするのも高円寺]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/tokyo/story-2-1 ストーリーエッセイ 「しばらく放っておいて」 彼女からLINEが届いたのは、家まであと5分のタイミングだった。 高円寺の駅から徒歩15分。住宅街に突如現れるエスニックな雑貨屋の隣に、1LDKで11万3000円の僕らの家があった。 辺りは街灯も少なく、秋の夜には少し心細さが残るほど暗かった。 「ごめん、10対0で俺が悪いです」 彼女がスマホを手放す前にと思い、慌てて短い謝罪文を送った。が、既に遅かったようで、既読は付かない。 「でも本当に悪気はなくって」 未読。 「もうすぐ家に着くから、ちゃんと説明させて?」 またしても、未読。 完全に怒らせてしまったようだった。 金曜の夜にも関わらず、彼女は昇進がかかった試験のために勉強をしていた。ストレスも溜まっていたのだろう。休みの合間に送ってくれたLINEを、僕が見事にスルーした。スルーしただけならまだしも、ほぼ同タイミングで、同僚の女性と飲んでいるツーショット写真をSNSにアップしていた。このタイミングの悪さが、彼女の逆鱗に触れた要因だった。 「私がどれだけ苦しんでいても、あなたの仕事に一切関係のないことぐらいわかるよ。でも、彼女が苦しんでいるときに、これみよがしに異性とのツーショットをアップするって、それ、どういう神経してんの?」 必死に謝罪を試みたが、もう聞く耳を持たないし、LINEを見る目もないようだった。仲直りのケーキを買ったところで美味しいと思う味覚もなさそうだし、五感のほとんどが閉じられていることを悟った。 昔から嘘や言い訳が下手だった僕と、一度怒ると怒鳴るより黙る方を選択する彼女との喧嘩は、ここにきて史上最大の山場を迎えた。 story_img2 そもそも、どうして中目黒ではなく、高円寺に住んだのか。 半年前、僕らは初めての同棲に向けて作戦会議をした。 そこで彼女は中目黒に住むことを熱望し、僕はそれを予算内であれば構わないと認めた。 しかし、現実は厳しく、11万の予算で中目黒に1LDK物件を探すのは、なかなか難しかった。具体的に言えば、4つの賃貸紹介サイトと3つの不動産会社を駆使して2カ月粘っても、「中目黒・11万・1LDK」で自分たちが気に入る物件が見つからなかったのである。 「じゃあ、祐天寺は? あそこも、若い人には人気じゃない?」 「やだ。せめて代官山。あとは、恵比寿とか」 「ほんと、いちいち脳内が華やかだよなあ」 「うるさいなあ。住む場所って大事だよ? 起きたらハッピーな気分になれる場所に住みたいじゃん」 「じゃあ、ミラコスタは?」 「それはいいね。ミラコスタに住めたら毎日プロポーズでもしてくれるわけ?」 そんなやりとりの末、徐々にお互いが妥協して行きついたのが、「高円寺・新築デザイナーズ物件・11万3000円・1LDK」だった。 story_img3 story_img4 「当初の予定からだいぶ離れている」とお互い言いながらも、内見のために久しぶりに訪れた高円寺は、中目黒ほど洗練された街ではないものの、個性的な飲食店や雑貨店、古本屋が立ち並び、カルチャー色が強く残っていた。未だに若者に人気な土地であることはすぐにわかった。そして何より、中目黒に比べれば家賃相場も安く、現実的に見てふたりで住むには適した場所だと判断された。 彼女は高円寺という土地に最後まで納得していなかったものの、デザイナーズマンションなのに収納が多いことと、ひたすら天井が高いところに惚れた。僕は僕で、駅から15分は遠いと思うものの、玄関が広くて、コンロが3口であり、コンセントが多いことに喜んでいた。 「人生に妥協はつきものだからね」と、最後にはあっけらかんと受け入れたようすが、やたらとかわいかった。彼女の機嫌が良ければ僕の人生もそれなりにハッピーだろうと思い、この物件に落ち着いた。]]> Mon, 25 Sep 2017 00:00:00 +0900 <![CDATA[大阪座談会 | 住んでみて感じる大阪独自のコミュニケーション文化]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/column/osaka/zadankai-2-1 コラム 「意外とローカル」、「梅田“ダンジョン”」……大阪のココにびっくり!

Chapter.04

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Bさん
大阪は東京と同じような大都市だと思ってたんですけど、意外とローカルな印象です。オシャレな海外のお店が出店するのは絶対東京で、その2店舗目なんて大阪ではなく福岡だったりしません? 最先端のものは、やっぱり東京にあるんやなと改めて感じました。その代わり、大阪は昔ながらの感じのいい個人店も多いんですよね。「へー! このお店、そんな何十年も前から続いているんや!」みたいな発見があるのもうれしい。
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Eさん
僕は大阪に単身赴任で来ていて、東京に帰ったときは「せっかく来たから!」と大阪にはないお店に行ったりするので、もはや観光客気分です(笑)。あとは、仕事柄外出が多いのですが「ダンジョン」と言われるほど迷子になりやすい梅田はやっぱり最初のころ何度も道を聞いていました……。
Bさん
東京でいうと新宿も迷いやすいんですが、梅田はその比じゃないですよね。新宿は東口と西口で分かれているので、出る方向さえ間違えなければ目的地に辿り着けると思うんですけど。梅田はもう、全部が迷路。
Cさん
私は新宿の方が迷いますけどね。乗り入れている路線も圧倒的に多いし。
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Bさん
梅田は動線がややこしいんですよ。たとえば、梅田から北新地に行こうとすると横断歩道が全然ないですし。駅から地上に上がったところで反対側へ渡りたいと思っても、横断歩道が全然ないからまた地下に入って、あっちこっちさまよって、ようやく北新地に行けた、みたいな。地下街は、曲がり道が直角ではなく緩やかに曲がっているから、方向感覚を見失います。地上に上がっても歩道がないし、地下に潜ったらまたさらに迷うことになる。
Aさん
梅田の地下は3次元で迷う感覚がありますよね。いくら歩いても目的地に着けない。
Dさん
たぶん東京の方が案内も多いんですよね。梅田に限らず、どっちに何があるかあんまり看板や案内図を見かけないなと思います。
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Mon, 18 Sep 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[大阪座談会 | 不安だけでなく憧れも。引っ越し前に抱いていた『大阪の印象』]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/column/osaka/zadankai-1-1 コラム 関西弁の感染力がすごい! いつの間にか変わる「しゃべり方」

Chapter.01

story_img1
Dさん
私は結婚して大阪に引っ越してくるまで、25年間ずっと東京から出たことがなかったんです。だから、初めての引っ越しで、しかも遠く離れた大阪というのはやはり不安でした。
Aさん
私も大阪に来るまで東京を出たことがなかったけど、昔からよく関西に行く機会があったのであまり抵抗はなかったかも。
Cさん
私は小学生のときに関西に来て15年以上経つので、しゃべりもノリも関西丸出しですね。ただ、やっぱりベースは東京にあるので、怒ったときには標準語になるらしいです。
Bさん
大阪に来て3年目なんですけど、関西弁の感染力ってすごくないですか……? 意識して変えようとはしていなかったのに、いつの間にかしゃべり方が移ってしまいましたね。
Aさん
たしかに発音はだんだん関西寄りになってくる。でも、そうは言っても、やっぱり多少はイントネーションも違ったりするし、生粋の大阪人から「エセ関西弁だね」って言われない?
Bさん
いや、そんなんは言われないですね。とくに中心部には大阪以外から引っ越してきてる人も多いんで、そこまで生粋の関西人が少ないのかもしれないですけど。
Eさん
たしかに東京だけでなく、いろいろな場所から大阪に来ている人が多いのでそこまでコテコテではないかもしれないね。そもそも、東京だって純粋な東京育ちの人は少ないわけだし。

大阪への憧れもある一方、馴染めるかどうか不安も

Chapter.02

story_img2
Cさん
東京に住んでたとき、関西から引っ越してきたかっこいい男の子がいたんですよ。その子を見て、方言にも憧れをもっていたので、親から大阪に引っ越すことを聞かされたときにはもう、ガッツポーズですよね(笑)。
Aさん
たしかに、私も子どものときに『名探偵コナン』に出てくる服部平次くんとか、関西弁でかっこいいなと思っていましたね。
Eさん
テレビやマンガでも関西弁って目にするし、自分が使わなくてもわりと馴染みがあると思っていたので、大阪に来て女の子が自分のことを「ワシ」と冗談交じりに言っていたのを聞いたときは驚きました。
story_img3
Dさん
私はやっぱり、新世界(※)にいるようなすごくキャラの濃いおじさんのイメージが強くて仲良くなれるか心配でした。だけど、引っ越して梅田でアルバイトを始めたときに「今日から若い姉ちゃん来たで!」みたいな歓迎ムードだったので安心しました。
Aさん
会社は従業員に対しての仲間意識が東京よりもある気がします。大阪で働き始めたとき、最初は慣れないことばかりで戸惑っていたら「ウチで働いてるんやし、もう家族みたいなもんやから何でも聞いて」と言われて安心しました。
Eさん
干渉されすぎるのを好まない人もいるから、どちらの距離感がいいのかは人によって違いますよね。
※「通天閣」がある大阪市浪速区の繁華街エリア。]]>
Mon, 11 Sep 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[僕らが東京で見た景色 | 自由が丘同棲作戦会議]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/tokyo/story-1-1 ストーリーエッセイ 「中目黒がいいよ、中目黒」 何か確信を持った顔で、彼女は言う。 自由が丘駅が一望できるカフェ。彼女がひとり暮らしをしているアパートから7~8分歩いたその場所で、僕らは未来の作戦会議をしていた。 「なんで、中目黒?」 あまり良い印象がないその街に住みたがる理由を、彼女に尋ねる。 「蔦屋書店ができたばっかりで、楽しいから」 実にシンプルで、何の説得力もない回答を、さも当然のように答えた。 「でた、東京憧れミーハーガール」 「いやいやいや、わかってない。いいですか? たとえば終電まで飲んだ帰り道、ふたりで最寄駅に着いたら何がしたい?」 「まっすぐ帰って、シャワー浴びて、して、寝る」 「なにそれ、つまんな!」 「じゃあ、シャワー浴びる前に、する……?」 「バカなんじゃないの」 「すみません」 いつもほとんどの会話で僕が謝って終わるのは、僕がボケ担当であり、彼女が(とても鋭い)ツッコミ担当であることが、1年半前からなんとなく決まっているからである。 story_img2 出会ったのは、2年前だった。 25歳だった僕と23歳だった彼女は、俗にいう異業種交流会(間違っても合コンではない)で意識高く対面し、意識低く酒を飲んで意気投合した。周りが「どうしたら世界で活躍できる人材になれるか」というテーマで盛り上がるなか、僕らは「会社のパソコンがインターネットエクスプローラーしか使えない」という共通項を見つけて大はしゃぎしていた。 翌週には、「ブラック企業勤めのわたしたちにピッタリかもしれない」という話により、ふたりで映画の『マイ・インターン』を見に行った。そこそこ感動していた僕をよそに「あのハッピーエンドは強引すぎる」といつまでも文句を言う彼女に何故か惹かれ、その翌週にはお互いを彼氏・彼女だと認識するようになっていた。 ドラマチックでもなんでもなかった。お互い、地方から上京してきた身で、僕は上板橋にある何の変哲もない住宅街に住み、彼女は自由が丘の閑静な高級住宅街に住んでいた。僕は無印良品とニトリで揃えた部屋に住み、彼女はfrancfrancとIKEAの家具に囲まれた家に住んだ。とにかく無難に歩む僕と、何かと可憐な生き方を望む彼女が、無難にも可憐にも生きられる東京という街でひっそりと出会った。 story_img3 「もう、ふたりで住んだほうが早くない?」 同棲という選択を重く考える理由なんて、僕らにはなかった。 立地の関係で彼女の家に泊まることは多かったものの、入り浸ることは極力避けていた僕は、二拠点生活のような暮らしにも辟易としてしまっていた。その日も、どの荷物を自宅に持ち帰り、どの靴を彼女の家に置いていこうか悩んでいたところだった。 「あと2カ月くらいで契約更新だから、そのタイミングで、少し広めの部屋を借りようよ」 理想的と思えたその提案を断るわけもなく、僕らは同棲生活に向けて動き出した。 そして今、第1回同棲会議として、彼女の最初のプレゼンが始まったところである。]]> Mon, 04 Sep 2017 00:00:00 +0900 <![CDATA[Relife man | 40歳出版社勤務、人生転がり続けた男の物語小説 最終章。勇次、最後のリライフ。]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/relifeman/5-1 ストーリーエッセイ 移住の想いと、順子さんへの想いの葛藤 勇次の決断は…

Chapter.16

story_img1 母の死をきっかけに、僕は東京から離れることを真剣に考え始めました。 移住先として真っ先に思い浮かべたのは、岐阜の郡上八幡です。 初めて訪れたのは、大学時代の夏でした。地元出身の友人に誘われて、郡上おどりを見物に行きました。そして、まるで磁石のように場の持つ力に引きつけられてしまったのです。 山々に抱かれた郡上八幡は、豊かな水の恩恵を受ける町です。人々が夜通し踊るさまは、得も言われぬエネルギーに満ちていて、夏の郡上おどりの間は全国からたくさんの人々がやってきます。僕も夏は欠かさず郡上おどりを訪れるようになり、回を重ねるごとに郡上八幡に魅入られていきました。 友人から紹介された地元の人たちとの交流もでき、その中には農業や林業に携わっている人もいます。 もしこの街に住むことになったら、仕事を紹介してもらうこともできるかもしれない。そう考えると、期待で胸が膨らみました。 ただし、ひとつだけ気になることがありました。それは、順子さんです。 正直にいえば、僕は順子さんにぞっこんで、できるのなら今すぐにでも結婚したいと思っていました。でも、順子さんは離婚後、努力して東京に生活の基盤を築き、千夏ちゃんを大切に育てています。そんな彼女に、ゆかりのない土地で一緒に暮らそうなんて軽々しく言えるはずもありません。 ある日の夜、僕は郡上八幡への一泊旅行を順子さんに提案しました。時期は、徹夜踊りが行われるお盆の期間。もちろん、千夏ちゃんも一緒です。LINEのメッセージはすぐに既読が付き、<いいですね! 詳しい話を聞かせてください!>と返信がきました。 順子さんと初めての旅行だし、郡上の魅力を知ってもらえるし、嬉しくないわけがありません。 ただ、<宿泊費と交通費はこちらで持たせてください>という提案は、<気持ちはうれしいけど、そこはワリカンで!>と断られました。こういうところが、順子さんの魅力のひとつだと思いました。 旅行の日取りは、8月15日・16日になりました。 僕は前日に大阪の実家で初盆の法事を済ませ、岐阜駅で順子さんたちと落ち合うことにしました。千夏ちゃんから「ドライブをしたい」というリクエストがあったため、岐阜駅からレンタカーで郡上八幡まで行くことにしました。

郡上おどりの夜に打ち明けた本当の気持ち 車中で交わされる互いの決意を込めた会話 その先には…

Chapter.17

story_img2 長良川を眺め、緑の濃い山道を抜けて一時間もすると、郡上八幡に到着です。 車を駐車場に止めて、ぶらぶらと散策しました。町中には水路が張り巡らされていて、じつに涼やかです。順子さんも気に入ったようで、「初めて来たけれど、いいところですね」と言ってくれました。そして、僕が「将来的には、こういう町で暮らしたいんですよね」と話すと、「私も憧れるなあ。子育てにも向いてるし」と声を弾ませて応じてくれます。思わぬ好感触に、心臓が早鐘を打ちました。 千夏ちゃんは、地元の子どもたちが橋の上から吉田川に飛び込んでいる様子を見て、「私もやってみたい!」と、上目遣いで順子さんを見ます。が、「もう少し大きくなってからね」と止められ、ちょっぴり不満そうでした。「ゆうじさん、お母さんにたのんで~!」とせがまれましたが、ママがいる手前、僕からは何も言いません。ただ、順子さんに似た千夏ちゃんの凛々しい性格がよく分かり、微笑ましく感じました。 お盆の4日間は郡上おどりの山場で、訪れた人々は夜から早朝まで夜通しで踊り続けます。 はじめは夜店に夢中だった千夏ちゃんも、にぎやかなお囃子に心を惹かれるようで、浴衣姿で軽快に踊る人たちを食い入るように見つめています。 「みんなで一緒に踊りませんか?」 僕はふたりに声をかけ、率先して踊り始めました。順子さんも千夏ちゃんも見様見真似で体を動かし、弾けるような笑顔を見せてくれました。僕は僕で懸命に踊りながら、ふたりと一緒にこの町で暮らしたいという思いが、さらに高まりました。 千夏ちゃんが眠くなるタイミングを見計らって、日付が変わる前に車に乗り込み、ホテルを目指しました。近隣の宿泊施設がどこも取れなかったため、岐阜駅の近くに宿を取っていました。 「楽しかったなあ」 順子さんはひとり言のようにそう言いました。僕は黙って車を走らせていましたが、意を決して話し始めました。 「順子さん、僕、遠くないうちに郡上八幡に移住しようと思っています」 「え、そうなんですか?」 「はい、自然の豊かな場所で暮らすことにずっと憧れていたんです。この前の話を聞いて、人生“いつかは”と思っているだけじゃダメだなって。」 「そうですか……」 「仕事はどうにでもなると思っています。知人のツテがないわけもないし。それに、もしできたら……」 「できたら?」 「できたら、三人で暮らしたいと思っています」 勇気を振り絞って切り出しましたが、返事はありません。 車内には沈黙が広がり、後部座席から千夏ちゃんの寝息だけがかすかに聞こえます。 「……今すぐは無理です。千夏と友だちを急に引き離すのもかわいそうだし……」 順子さんは今にも消え入りそうな声で言いました。 「そうですよね。突然すぎますよね」 努めて明るく返事をしましたが、その場からすぐにでも消え去りたいほどショックを受けていました。]]>
Mon, 21 Aug 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[うちのリハウスガール|No.031小林安祐美さん]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/rehousegirl/r031 うちのリハウスガール Mon, 24 Jul 2017 00:00:00 +0900 <![CDATA[モメトーク・ウラトーク | 相続でモメた裏話座談会]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/column/mometalk/mome-1-1 コラム なぜ相続問題は勃発するのか?

Fight! 01

アフロくん
相続って、すごく揉めてしまうイメージなんですけど、そもそもどうして揉めるんですかね?
ひつじさん
やっぱり「自分が多く遺産をもらうべき!」「あいつにはやりたくない!」という情念が渦巻いてしまうからですかね…ほんとに疲れます…。
アフロくん
おお、いきなり実感のこもったお言葉が。では、さっそくですが、始めましょうか。ひつじさんは、どんな相続問題があったんですか?
ひつじさん
実は私、父の遺産をめぐって妹と裁判で争ったんです。
アフロくん
えーー! 姉妹で裁判ですか!?
コアラさん
どうしてそんなことに!?
ひつじさん
私の場合、父親が亡くなったとき、まず実家住まいだった妹が「遺産は全部お母さんのものにしようよ」と話をもちかけてきました。私もそれがいいと思い、妹が作ってくれた遺産分割協議書にサインをしました。遺産の法定相続人は母と私と妹で、法定通りに分けると、母親が遺産の1/2、私と妹が1/4ずつになるんですけど、全部お母さんにあげようって。
パティオくん
いい妹さんじゃないですか!
アフロくん
そういうとき、なにか特別な書類を作ったりするんですか?
ひつじさん
遺産分割協議書という、要は相続人全員で遺産をどう分割するのか協議した結果を書いて提出する書類があります。その書類も、妹が用意してくれました。で、その書類を提出して、母が全部受け取ると思っていたんです。。もちろんそうなれば裁判なんかにはならなかったんですけど…。
キツネくん
どういうことですか?

騙された!? と思ったときには後の祭り

Fight! 02

story_img1
ひつじさん
今はこんなふうに知った口をきいているんですけど、当時の私はなにも知らなくて、妹に言われるがまま大して内容も確認せずにその妹手作りの遺産分割協議書にサインしてしまったんです。
アフロくん
まさか…。
ひつじさん
で、しばらくしてから登記された内容を確認したら、父親の遺産を妹がすべて受け取ることになっていて。
一同
えーーーーーーっ!!
アフロくん
それって、知らずにサインしたから無効ということにはならないんですか?
ひつじさん
ならないんです…。私は妹を訴えたのですが、一審で負けて、控訴したんですけど、やはり負けてしまいました。父の死後、母も間もなく亡くなったのですが、妹は「お母さんが私に全部くれると言っていた」と主張して…。妹は独身でずっと実家住まいだったんです。それが本当なのか嘘なのかは、母亡き今となってはわからなくて。
パティオくん
妹さんに、はめられた…。
ひつじさん
と、思っています。私は。もともと、妹は昔から私を目の敵にしていたので、ここにきて、という感じですね。
アフロくん
ひえ~~!
]]>
Mon, 03 Jul 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[Relife man | 39歳出版社勤務、めまぐるしい男の人生小説第4章。 転職、離婚、親友との絶縁、新たな出会い…そして、 突然訪れた母との別れからのリライフ。]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/relifeman/4-1 ストーリーエッセイ 突然過ぎる母との別れ 希薄な現実感と、深まっていく喪失感

Chapter.14

story_img1 お別れは突然やってきて、すぐに済んでしまいました。 母が亡くなりました。62歳でした。 連絡を受けたのは、7月初旬の暑さの厳しい日でした。昼食を買うために会社近くのコンビニへ向かっていると、父から着信がありました。実家から連絡がある場合に電話をかけてくるのは、いつもなら母です。珍しいな、なんて思いながら通話ボタンを押し、覇気のない声が聞こえてきました。 「お母ちゃんが脳出血で倒れた。あかんかも……」 その瞬間、まだ日の高い時間帯だったにも関わらず、夜の闇に包まれたかのように目の前が真っ暗になりました。近くの公園でうるさく鳴いていた蝉の声が、やけに遠くに聞こえます。とにかく、現実感が希薄でしたね。 よくよく話を聞くと、母は今朝の8時頃、台所で倒れたそうです。救急車で担ぎ込まれた病院では未だ意識不明で、予断を許さない状況だといいます。「帰って来るなら、喪服持ってきた方がええかも」と言われましたが、「縁起でもない!」と一蹴しました。 僕は編集長に事情を話し、仕事を切り上げて新幹線で大阪へ向かいました。 車中でも、気持ちはふわふわと落ち着かないままです。よからぬ想像ばかりが頭に浮かび、そのたびに懸命に振り払いました。 けれど、悪い予感は的中しました。 病室に駆け付けると、母はすでに息を引き取っていました。久しぶりに会う姉は、母の眠るベッドのそばで嗚咽を漏らしています。父は西日の差し込む窓の外を眺めながら「喪服、必要やったな」とつぶやきました。 story_img2 母の亡骸を目の当たりにしても、僕は実感が湧きませんでした。脳が現実を拒否しようとしているのか、頭がぼんやりとしてしまい、何も考えられません。 母の表情は穏やかで、わずかに微笑んでいるように見えます。しばらく待っていたら起き出しそうな気さえします。枕元に飾られているフォトフレームには、見覚えのある写真が収まっていました。僕が小学生の頃、琵琶湖畔でキャンプをしたときの家族写真です。母はまだ若々しく、「笑う門には福来る」と言わんばかりに、満面の笑みで笑っています。思えば、いつも笑顔だけは絶やさない人でした。 父は病室を出て、廊下で親族や葬儀会社など方々へ電話をかけ始めました。母との思い出に浸る暇さえなく粛々とやるべきことをする父の背中は、しばらく見ないうちに随分と小さくなっていました。 僕はいたたまれなくなり、父に車を借りてロードサイドのスーツ量販店へ行くことにしました。泣いている姉の気持ちに寄り添えないことが、ただただ申し訳なかったです。 翌日の通夜と翌々日の葬儀はしめやかに営まれました。僕はといえば、頭の中に霞がかかったようで、自分の気持ちさえ分かりかねるといった状態です。母を荼毘に付し、お骨を拾っているときでさえ、悲しみに襲われることはありませんでした。 感情が溢れ出したのは、精進落としの席でした。父が献杯のあいさつに立ったのですが、「みなさま、本日はありがとうございました」と言ったきり、次の言葉が出てきません。どうしたものかと様子を伺うと、下を向いて体を震わせています。父は声を出さず、静かに泣いていたのです。2日間気丈に振舞っていましたが、緊張の糸が切れたのでしょう。 それを見て、堰を切ったかのように涙が溢れ出しました。あまりにも突然で理解しがたかった母の死が、ありありと実感できたのです。さっとハンカチを渡してくれた姉の優しさが心に沁みました。 父は声を震わせながらあいさつを終え、会場の外へ出て行きました。背中には形容しがたい悲しみが滲んでいました。 story_img3 母の死は、途方もない喪失感を僕にもたらしました。 上京してから、実家に帰るのは盆と正月くらいで、母の近況は詳しく知りませんでした。父や姉によると、特別体調が優れないというわけでもなかったそうです。 いつかしようと思っていた親孝行は、一つもできませんでした。 初婚のときは、「そのうち孫の顔でも見せられたらいいな」と夢を見ていましたが、子どもをもうけぬうちにあえなく離婚。母が「年をとったら行ってみたい」と話していたヨーロッパ旅行にも連れていけませんでした。 そういえば、しばらく母の手料理も食べていませんでした。子どもの頃から好物だった、じゃがいもがゴロゴロ入ったあのカレーも、もう2度と食べることはできません。 何をしていても後悔ばかりが押し寄せきて、仕事にもまったく身が入りませんでした。 母が生きていたら「またため息ついとる。幸せが逃げるで」と、たしなめられたことでしょう。]]>
Mon, 19 Jun 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[Relife man | 38歳出版社勤務。過ちから逃げるように始めたランニングの先に見えた新しい自分。 そして新たな出会いからのリライフ(前編)]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/relifeman/3-1-1 ストーリーエッセイ 子どもから「おすもうさん」と言われて始めたランニングが、抱え続けた孤独感・罪悪感を振り切って行く 絞られていく身体と安定していく心、その先には……

Chapter.10

story_img1 「落ち込んでいるときは人と会え」なんて言いますが、会社で孤立して以来、他者と接することに非常に消極的になっていきました。仕事は辞めずに続けていましたが、職場における人望は地に落ちているため、同僚とは事務的な会話を交わすのみ。せっかくの休日も家にこもってゲームというルーティン。 ずっと家にこもっているから、一言もしゃべらない日もあったりして。「あれ、声ちゃんと出るかな」なんて急に不安になって、テレビに映るタレントに向かって話しかける、なんてこともありました。 あまりにも人との交流がない日々が続いて、帰省してお袋の手料理でも食べたいな、なんて思うこともありました。でも、離婚してからは両親との関係がギクシャクしていて、実家に行ったところで何を話していいかわかりません。 コミュニケーションに乏しい毎日だと、人からちょっと声をかけられるだけでもすごくうれしいんですよね。近所のお弁当屋さんに愛想のいいおばちゃんが働いていて、「お兄ちゃん、余ってるけど食べる?」なんて言って余った惣菜をくれたりするので、世間話をしたいがためにしょっちゅうそこでお弁当を買っていました。 story_img2 そんな僕に、ちょっとした事件が起きました。 ある日の夜、会社から帰宅してシャワーを浴びようとしたら、なぜかお湯が出ません。深夜だったのでガス会社に連絡するわけにもいかず、しぶしぶ近所のスーパー銭湯へ足を運びました。 久しぶりに足を伸ばしてお湯に浸かったら想像以上に気持ち良くて、結果オーライだな、なんて思ったんです。でも、浴場から出ようとしたところで、まだ小学校に上がっていないくらいの丸刈りの小さな子どもに「パパ、おすもうさん!」って指をさされちゃって……。 自分では小太りくらいの認識だったんですけど、力士と間違えられたのは正直、ショックが大きかったですね。 家庭や仕事の問題で心身のバランスを見失っていたのかもしれません。無垢な子どもの声に我に返り、とにかく太る前のカラダを取り戻そうと決意。ジム通いは続かなくなると考え、ハードルが低く手軽にできる運動として、ランニングを始めました。]]>
Mon, 15 May 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[しあわせRelife劇場 | 自宅マンションを賃貸に出してみた ~家賃収入で幸せリライフ~]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/column/shiawaserelifegekijyo/shiawase-2 コラム 突然の転勤が決定! 目指すは賃貸オーナー

Chapter.01

賃貸住宅に住んでいた達也さんが3LDKの分譲マンションを購入したのは、第一子が誕生した5年前。当初は勤務地からほど近い西東京エリアに住みたいと考えていたが、交通至便ながらも下町情緒にあふれる松が谷に惹かれ、この地に住まいを構えた。 幸せな毎日を送っていた達也さんだが、ある日、突然転勤の辞令が。行き先は兵庫県神戸市。家族そろっての引っ越しを決めたが、問題だったのは空き家となってしまう自宅マンションをどうするか。奥様と何度も話し合った末、家賃収入を見込んで賃貸に出すことに。 「数年で東京に戻る可能性があるので売りたくはない。でも、換気などの空き家の手入れで神戸から定期的に通うのは現実的に難しい。それなら、多少の損傷が出たとしても、信頼できる人に貸して家賃をいただいた方が賢いかな、という結論に至りました」 といっても、自宅をいくらで貸せるかなど見当もつかない。さっそく不動産サイトで自宅マンションを検索したところ、平均家賃が約14万円であることが分かった。想像よりも高額で貸し出されていることに満足した達也さんは、仲介を請け負ってくれる不動産会社を探し始めた。 story_img1

不動産会社に相談! 賃貸条件の詳細を決定

Chapter.02

相談した不動産会社は3社。達也さんがインターネットで調べたところ、不動産会社によって強みが違うと書かれていたため、複数社回ってみることにしたという。 A社は知名度の高い大手。B社は自宅から近い地元密着型。C社はリロケーション(※転勤などの留守宅を賃貸すること)が得意。それぞれと打ち合わせを重ねた結果、アットホームな雰囲気で相談に乗ってくれたC社にお願いしようと考えた。 詳しい話を進めていくなかで、費用の話に。達也さん夫妻としては、手数料は家賃1カ月分と考えていたのだが、不動産会社の担当者曰く「うちは決まりで広告料を取ることになっていまして、手数料プラス広告宣伝費をいただくことになっています」とのこと。少しでも出費を抑えたい達也さん夫妻は、ほぼC社で決めかけていたが、一旦見直すことにした。(後日ほかの不動産会社から聞き知ることになるのだが、会社の方針によって最近はC社のように広告宣伝費をとるところが増えてきているという)。 改めて訪れた大手のA社では密にコミュニケ―ションをとることを心がけ、良い関係を築くことができる手応えを感じた。担当者の知識も豊富で安心して任せることができると感じたのも大きかった。ネックだった広告宣伝費も、この不動産会社では請求しないことを売りにしており安心。こうして達也さん一家の賃貸物件を任せるのはA社に決まったのだ。 story_img2 そうして賃貸条件の詳細を打ち合わせることに。 打ち合わせでは諸条件をすり合わせた。家賃と敷金・礼金のほかにも決めるべきことはたくさんあった。 達也さん一家は、将来的には東京へ戻ってきたいと思っている。そのため、貸主との契約期間をあらかじめ設定する「定期借家契約」を選択した。契約期間は5年としたが、それより早く東京に戻ったとしても、しばらくは賃貸物件で暮らせばいいと考えた。 借主がスピーディーに見つかり、家賃も少しアップできると担当者からアドバイスされたので、ペットはOKに。現在も猫を飼っているため、借主がペット連れでも抵抗はなかった。 story_img3 借主との賃料の集金などの管理についても、家賃の5%の費用がかかるがA社に委託することにした。こうすることで、家賃滞納などのトラブルがあった場合にはA社が対応してくれるのだ。 達也さんによると、不動産会社との打ち合わせは「自宅マンションを商品設計するようなイメージでした」とのこと。家賃は相場より少し高めに設定したが、ペット可ならおかしくない額。最寄り駅まで徒歩5分と住環境の条件も良かったため、担当者も「すぐに借主さんが見つかると思いますよ」と太鼓判を押してくれた。

2週間で借主が見つかる! 転勤先での新生活を満喫

Chapter.03

A社は、自社のホームページやポータルサイトを駆使して募集情報を広めてくれた。その効果もあり、予想よりも早く「内見をしたい」という問い合わせがあった。年齢は20代後半の夫婦で、お子さんがひとり。プードルを飼っているという。 お互いのスケジュールを調整して、募集を出してから2週間後のある土曜日に内見の機会を設けた。そのときの達也さん一家の感想は、「ご夫婦でサーフィンをやっているということで、スポーティーで活発な印象。礼儀も正しかったので、『この人たちに貸そう』と即決しました」 story_img4 かくして愛着のある自宅マンションの入居者が決まった達也さん。借主が決まった後は、ハウスクリーニングの業者を調べ、見積りを取り、その清掃業者にクリーニングを依頼しピカピカの状態にした。そして鍵を変えて欲しいという依頼があったので、鍵の取り換え工事も行った。家具は、自分たちが使う物以外は要望のあった物のみ、そのまま使ってもらうことにした。 しかし、ここでトラブルが!! story_img5 神戸市内の賃貸マンションに引っ越して1カ月が経ったころ、A社の担当者から連絡があった。何でも、借主の夫婦がゴミ出しの曜日を守らず住民から苦情が出ているというのだ。一瞬ギクリとしたが、こんなときのために入居者管理を委託している。借主と住民の間に立って解決方法を探り、事態を丸く収めてくれた。 現在、達也さんは神戸での日々をエンジョイしている。東京本社に比べ、神戸支社の雰囲気はどこかのんびりしており、人間関係にも恵まれている。奥様も引っ越して早々にパート先を決めて働き始めた。以前から続けているヨガのできるジムも見つかった、と喜んでいたそうだ。 共働きのため、娘さんは保育園に預けているが、大人よりも新しい環境に順応するのが早いという。あっという間に新しい友だちをつくったし、最近は会話に関西弁を織り交ぜたりすることもある。引っ越す前は多少不安もあったが、充実した毎日を送っているようなので、嬉しい限りだ。 「神戸というと上品で洗練された街というイメージを持っていましたが、親しみやすい商店街なども多く、とても住みやすいです。妻も娘もこの街が気に入ったと言っていました。たまに東京が恋しくなるときもありますが、これも何かの縁と思って、しばらくは神戸暮らしを満喫したいですね」 story_img6 本記事は個人の経験談です。]]>
Mon, 17 Apr 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[Relife man | 35歳出版社勤務、昇格と引き換えに失った、 大切な友。親友との絶縁からのリライフ]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/relifeman/2-1 ストーリーエッセイ 離婚の悪夢から逃れたくて、打ち込んだ仕事と暴飲暴食の日々 気付けばプラス20kgにまで

Chapter.07

story_img1 離婚後はとにかく妻との思い出から逃げるような生活をしていましたね。とにかく仕事に打ち込みました。暇ができると嫌なことを考えてしまうので、とにかく仕事に没頭しましたし、引越しもしました。 新しい住まいは、東中野駅から徒歩5分ほどの小さなアパート。寝に帰るだけだし誰が遊びに来るわけでもないと割り切って、1DKの小さな部屋を選びました。 離婚の時に家具はほとんど妻が引き取りましたので、あるのは冷蔵庫と洗濯機くらいのもので、街の喧噪とは対照的に、殺風景を絵にしたらこうなるだろう、というような部屋でした。なんとなくベランダにはゴムの木を置いていました。(家にあったものと言えば、本当にこのゴムの木だけでした。) 妻と同じフィールドに立ちたいがために転職した出版業界でしたが、幸いにして業務は面白く、上司や同僚にも恵まれました。 配属されたのはグルメ情報誌の編集部。インターネットの隆盛で、おいしいお店を探すために雑誌を買う人の数はどんどん減る中、オリジナリティのある個人店のみを紹介し、料理や店主のバックグランドを細やかに伝え、口コミサイトとの差別化を図ろうというのが編集部の方針でした。 編集する上で何よりも大切なのは飲食店のリサーチです。自らの舌で料理の味を確かめ、取材申請するかどうかを決定しなければいけません。 雑誌の発行は毎月。特集する料理やエリアが決まったら、まずやるべきは、昼夜問わずにさまざまなお店を食べ歩くことです。4軒続けてラーメンとか、カレー、カツ丼、お好み焼きをハシゴしたりとか。 もともと食は太くないんですが、なんであんなに食えたんだろう。仕事に真剣だったのもありますが、食べることでストレスを発散してたんでしょうね。 仕事に没頭する毎日の中で、離婚の辛さからも解放され、自分が新しい自分に生まれ変わっていく実感がありました。この仕事が向いていたのか、僕が担当してから雑誌の売上は上昇。来る日も来る日も食べに食べ、食レポを書き続けました。人生が面白くなってくる予感のようなものを感じました。もう一度人生楽しくなってくるんじゃないかって。でもそれと引き換えに体重は増え続け、わずか一年で気づけばプラス20kg。見た目はもう別人。 前の妻が僕を見かけても分からなかったでしょうね。

新宿西口カウンター8席の焼き鳥屋 生まれた独り者同士の連帯感 毎日がこんなにも楽しいなんて

Chapter.08

story_img2 同僚とも次第に打ち解けていきましたが、特に親しくなったのは同じ中途入社だった濱口でした。 濱口は1歳年上で、前職は飲食関係。口数は少ないものの洞察力に優れていて、歳のわりには驚くほど舌も肥えていました。彼は、グルメ情報誌のフレンチの担当として大活躍。取材に出向けば高級店のシェフとも対等に渡り合い、読み応えのある記事を量産していました。 3年交際した彼女と別れたばかりの濱口とはウマが合い、仕事帰りにはよく飲みに行きました。行きつけは、職場からほど近い新宿駅西口の思い出横丁。カウンター8席のこぢんまりとした焼き鳥店が行きつけでした。 いろんな話をしましたね、互いに妻、元カノの愚痴を言い合ったり、別の女の話をしたり、特に、仕事の話を2人で熱心にしました。よく朝まで飲みました。30過ぎでこんなに何でも話せる親友が出来たことを心から嬉しく思いました。妻はいなくても、こうやって友人と毎日酒を飲んで自由に生きる人生もいいじゃないか、と。自分に自信も戻ってきました。 濱口はアイデアマンでした。 匿名で客に対する店主のホンネを載せる企画や、売れっ子タレントに密着して3日間の食事をすべて紹介する企画など、まわりが思いつかないユニークなアイデアをいつも思いついていました。 飲みながら彼のアイデアを聞いては関心し、僕も濱口のような企画を考えられるようになりたい、と酔いながらにいつも語っていました。あるとき話に出たのが、「特集店を舞台に複数の作家に短編を執筆してもらう」という企画。グルメ情報誌の新しい形だと僕も絶賛をし、2人で盛り上がりました。]]>
Mon, 27 Feb 2017 00:00:00 +0900
<![CDATA[しあわせRelife劇場 | “普通サラリーマン”が 中目黒の人気マンションを購入できた理由 ~義父と節税で幸せリライフ~]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/column/shiawaserelifegekijyo/shiawase-1 コラム 義父のサポートでヴィンテージマンションを一括購入

Chapter.01

和也さんは、26歳で結婚。しばらくは妻と港区の1LDKマンションに住んでいたが、子どもができたことを契機に「転勤もないし、買っちゃったほうがお得」という夫婦会議を経て、3人で家を探すことになった。3人? そう、そこには夫婦ともう一人、和也さんのお義父さんがいたのだ。 義父は、誰もが知る大手メーカーの役員で、実家は成城。車はレクサスとポルシェの2台持ち。つまり、和也さんは“逆玉”に乗ったというわけ。妻が家を探している旨を伝えると、自ら助力を申し出たのだ。 そうして見つけたのが、今住む中目黒のマンションだった。 築40年のレトロな雰囲気を残す、いわゆるヴィンテージマンションで、室内は全面的にリノベーション。デザイン性の高さと、駅から徒歩5分というアクセス性の良さ、さらに行き届いた管理によるセキュリティの高さに、著名人も多く住む物件だ。 story_img1 「探している時にたまたま一室が空いて。職場も自転車圏内だし、子どもも3人は欲しいと思っていたから、3LDKの大きさもちょうど良かった。まあ、お義父さんの鶴の一声が大きかったんですけど(笑)」 もともとは億ションだったというこの物件、気になるお値段はおよそ4000万円。「結構安いな」と思ったとのことだが、和也さんの収入では一生のほとんどをローンに縛られる額だ。が、そこはパトロンの力。義父がポンっとすべてを一括で払ってくれた。 かくして、和也さんの新しい住まいと新しい暮らしが始まった。

「おんぶにだっこ」じゃない! 節税を駆使しコストを大幅削減

Chapter.02

ここまで見ると、和也さんはただの「逆玉サクセスストーリー」に乗っかっただけのように見えるが、さにあらず。 いかに節税するかに心血を注いだのだ。 まず、支払いのプロセス。マンションの名義を和也さんと妻の2人にし、妻の2000万円分は義父から生前贈与というかたちで譲られた。というのも、贈与の中でも「相続時精算課税」というタイプだと、2500万円までは贈与税がかからないのだ(※)。 そして残りの2000万は、義父から和也さんが借りるカタチに。ただし、無利子ではない。1%ほどだが利子は厳然とある。それが義父に対するせめてものスジ、かと思いきや「これも節税」と和也さん。実は、利子があることで「貸付金」とみなされ、贈与税がかからないのだ。結果として、贈与税ではウン百万はかかるところを、年利のわずか20万円に収めた。 さらに、耐震性能をチェックし、耐震基準適合証明書を取得。これは、建物が耐震基準を満たしていることを証明するもので、登記費用などが減額されるのだ。 こうして、「普通に借りたら15万くらい」という家賃も、和也さんが実際に払っているのは8万円ほどと、大幅な削減に成功。和也さんは、人生を縛るローンもないまま、住宅購入という“リライフ”を成し遂げたのだ。 story_img2

購入後のライフスタイルとこれからの話

Chapter.03

かくして夢のマイホームを手に入れた和也さん。住み心地といえば、 「なんといっても中目黒の人気ヴィンテージマンションに住んでいるという自負がありますよね。誰に言っても羨ましがられます。あと、防音もしっかりしているんで子どもがいても安心。ペットOKなのも、犬好きの自分には嬉しい点です。ここらへんは、目黒川沿いなど散歩にぴったりなスポットも多いし」 story_img3 アメコミが好きな和也さんは、キャラクターのフィギュアを陳列し、お酒を飲みながらそれを眺めるのが何よりの楽しみ。それが息子に伝染し、今では二人でフィギュアを戦わせたりアメコミの本を読んだりして時間を過ごす。 娘はピアノに夢中で、「防音をいいことに弾きまくっている」。その周囲で、愛犬が跳ねまわって散歩をおねだりする。 そんな家族の光景を優しく見守る美人の妻――。 story_img4 そんな、誰もが羨む幸せな暮らしを営む和也さんだが、一括購入したにも関わらず、住まいにかかる費用は少なくない。 具体的には、月に返済8万円と管理費・修繕積立金で2万円。そして固定資産税が一年で10万円ほどだ。 「住宅ローンだと特別控除で残高の1%が戻ってくるらしいんですけど、それもない。しかも、今は超低金利だから、トータルで考えると住宅ローンの方がお得かもしれないですよ」 最近では妻が3人目のお子さんを懐妊。子どもたちが成長をするころには、3LDKの家もやや手狭になってくることも想定しており、その場合、現在の家を賃貸に出して今よりも大きい家を探すことも検討しているという。 「専門家に聞いたんですが、この物件であれば賃貸でも十分ニーズはあるらしい。定期的な賃貸収入を得ながら、これまで学んだ節税テクニックを活かして、さらにいい住まいを手に入れたいですね」 story_img5 (※)ただし、相続時に相続税がかかります。 本記事は個人の経験談です。税金について詳しくは税理士にご相談ください。]]>
Thu, 25 Aug 2016 00:00:00 +0900
<![CDATA[Relife man | 「僕の人生なんて、蹴られて転がる 石の様なもんだなって、思っていました。」]]> http://www.rehouse.co.jp/relifemode/storyessay/relifeman/1-1 ストーリーエッセイ 付き合って10年、当然過ぎる結婚という選択 気付かないところで変わっていたのかもしれない二人の価値観

Chapter.01

妻のめぐみはもともと大学の同級生。在学時代は親しいわけではなかったのですが、卒業後後輩の学園祭を見に行った時に偶然再会。いつもジーンズにスニーカーはジャックパーセルといった彼女が、ロングヘアにスカート・ハイヒール、恵比寿の西口にいそうなOLに進化していました。でもよく見ると昔と変わらない人懐っこい笑い方で。めちゃくちゃかわいいじゃん、と。学園祭の後みんなで飲みに行って意気投合。それから毎週のように遊ぶようになり、彼女の誕生日に僕から告白し、付き合うようになりました。 それから約10年。週末の夜はいつもどちらかの家で過ごし、連休にはいろんなところに旅行にいきました。めぐみが20代最後の夏に沖縄の竹富島の夜の海辺でプロポーズをしました。見たこともないほどの満天の星空で、あの時は最高でしたね・笑。10年の間にいろんなことがありましたけど、すごく彼女のことが好きだったんだと思います。 story_img1 大学を卒業後、僕は赤坂の氷川神社近くにあるイベント運営会社に入社。最初はきつかったけれどすぐに馴染んで、給料も仕事の幅とともにステップアップ。後輩たちにおごってやれるようにもなったし、年々下からの信頼も厚くなっていくのを実感していました。

人生の最高潮 表参道のレストランウェディングに見た、すべてがうまくいく、という幻覚

Chapter.02

story_img2 表参道の交差点から渋谷方面へ7分。カフェやアパレルショップが並ぶ街頭に急に開ける広い芝生の庭。白い清澄なテーブルクロスが陽光に輝くレストランウェディングでした。5月の爽やかな日差しのなかで、目に映る何もかもがまぶしく輝いて見えました、それはもうキラキラと。 僕の大好きなヤツらが大集合してくれました。二人のなれ初めVTRを撮るために内緒で沖縄まで撮影に行ってくれた大学同期の杉山。二次会の司会で「山本勇次の取説」までプレゼンしてくれた、会社の先輩の田中さん。昔の写真を丁寧に探し集めてスライドを作ってくれた幼なじみの啓太。関西から大挙して上京してくれた僕のご意見番たるおっちゃん・おばちゃんたち。大好きなメンバーが全員にこやかに笑ってくれて。心から「おめでとう!」って声をかけてくれて。人生でこんなに幸せを実感した瞬間はなかったですね。結婚って最高だな~って思いましたよ。 人生最高のゴール。だと思いました。でもスタートだったんですね。そしてそれが茨の道の始まりだったなんて、思いもしなかったんですよ。何で気付かなかったかって? 自分がまだまだ半人前だったからでしょうね。]]>
Thu, 25 Aug 2016 00:00:00 +0900