StoryEssay / 2017 06,19Part.4

39歳出版社勤務、めまぐるしい男の人生小説第4章。 転職、離婚、親友との絶縁、新たな出会い…そして、 突然訪れた母との別れからのリライフ。

出版社に勤める勇次は、大阪府豊中市で生まれ育ち、明治大学経済学部を卒業。学生時代から10年付き合った恋人とまさかの結婚1年で別れてしまった×1(バツイチ)男。
これからお話しするのは、そんな勇次が離婚、転職、友人関係、恋愛、お金など様々な人生の局面で必死にリライフ(=人生の再生)を繰り返し、大きくなっていくヒューマンドラマです。

突然過ぎる母との別れ 希薄な現実感と、深まっていく喪失感

Chapter.14

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お別れは突然やってきて、すぐに済んでしまいました。

母が亡くなりました。62歳でした。
連絡を受けたのは、7月初旬の暑さの厳しい日でした。昼食を買うために会社近くのコンビニへ向かっていると、父から着信がありました。実家から連絡がある場合に電話をかけてくるのは、いつもなら母です。珍しいな、なんて思いながら通話ボタンを押し、覇気のない声が聞こえてきました。

「お母ちゃんが脳出血で倒れた。あかんかも……」

その瞬間、まだ日の高い時間帯だったにも関わらず、夜の闇に包まれたかのように目の前が真っ暗になりました。近くの公園でうるさく鳴いていた蝉の声が、やけに遠くに聞こえます。とにかく、現実感が希薄でしたね。

よくよく話を聞くと、母は今朝の8時頃、台所で倒れたそうです。救急車で担ぎ込まれた病院では未だ意識不明で、予断を許さない状況だといいます。「帰って来るなら、喪服持ってきた方がええかも」と言われましたが、「縁起でもない!」と一蹴しました。
僕は編集長に事情を話し、仕事を切り上げて新幹線で大阪へ向かいました。
車中でも、気持ちはふわふわと落ち着かないままです。よからぬ想像ばかりが頭に浮かび、そのたびに懸命に振り払いました。

けれど、悪い予感は的中しました。
病室に駆け付けると、母はすでに息を引き取っていました。久しぶりに会う姉は、母の眠るベッドのそばで嗚咽を漏らしています。父は西日の差し込む窓の外を眺めながら「喪服、必要やったな」とつぶやきました。

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母の亡骸を目の当たりにしても、僕は実感が湧きませんでした。脳が現実を拒否しようとしているのか、頭がぼんやりとしてしまい、何も考えられません。
母の表情は穏やかで、わずかに微笑んでいるように見えます。しばらく待っていたら起き出しそうな気さえします。枕元に飾られているフォトフレームには、見覚えのある写真が収まっていました。僕が小学生の頃、琵琶湖畔でキャンプをしたときの家族写真です。母はまだ若々しく、「笑う門には福来る」と言わんばかりに、満面の笑みで笑っています。思えば、いつも笑顔だけは絶やさない人でした。

父は病室を出て、廊下で親族や葬儀会社など方々へ電話をかけ始めました。母との思い出に浸る暇さえなく粛々とやるべきことをする父の背中は、しばらく見ないうちに随分と小さくなっていました。
僕はいたたまれなくなり、父に車を借りてロードサイドのスーツ量販店へ行くことにしました。泣いている姉の気持ちに寄り添えないことが、ただただ申し訳なかったです。
翌日の通夜と翌々日の葬儀はしめやかに営まれました。僕はといえば、頭の中に霞がかかったようで、自分の気持ちさえ分かりかねるといった状態です。母を荼毘に付し、お骨を拾っているときでさえ、悲しみに襲われることはありませんでした。

感情が溢れ出したのは、精進落としの席でした。父が献杯のあいさつに立ったのですが、「みなさま、本日はありがとうございました」と言ったきり、次の言葉が出てきません。どうしたものかと様子を伺うと、下を向いて体を震わせています。父は声を出さず、静かに泣いていたのです。2日間気丈に振舞っていましたが、緊張の糸が切れたのでしょう。
それを見て、堰を切ったかのように涙が溢れ出しました。あまりにも突然で理解しがたかった母の死が、ありありと実感できたのです。さっとハンカチを渡してくれた姉の優しさが心に沁みました。

父は声を震わせながらあいさつを終え、会場の外へ出て行きました。背中には形容しがたい悲しみが滲んでいました。

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母の死は、途方もない喪失感を僕にもたらしました。
上京してから、実家に帰るのは盆と正月くらいで、母の近況は詳しく知りませんでした。父や姉によると、特別体調が優れないというわけでもなかったそうです。
いつかしようと思っていた親孝行は、一つもできませんでした。

初婚のときは、「そのうち孫の顔でも見せられたらいいな」と夢を見ていましたが、子どもをもうけぬうちにあえなく離婚。母が「年をとったら行ってみたい」と話していたヨーロッパ旅行にも連れていけませんでした。
そういえば、しばらく母の手料理も食べていませんでした。子どもの頃から好物だった、じゃがいもがゴロゴロ入ったあのカレーも、もう2度と食べることはできません。 何をしていても後悔ばかりが押し寄せきて、仕事にもまったく身が入りませんでした。
母が生きていたら「またため息ついとる。幸せが逃げるで」と、たしなめられたことでしょう。