Column / 2019 02,22 /Vol.1

天守閣の住み心地 vol.1
天守閣に住んだのは唯一、織田信長だけ? 
幻の「安土城天主」その“住み心地”を考察してみる

日本の城の天守閣が居住空間として使用された例は少なく、唯一日常生活を送っていたといわれるのが織田信長だ。安土城の天主で信長はどんな生活をしていたのだろうか考察すべく、現地を訪れた。

■迷うほどたくさんの部屋があった、天主の「間取り」

次に、天主の間取りである。『信長公記』によれば、畳敷きの部屋があったり、間取りが細かく仕切られていたりと、やはり「住まいっぽい」特徴が見られる。これらも、その他多くの天主とは一線を画す仕様だ。

松下さん「高層の建物を支えるため、多くの柱が必要だったと考えられます。となると、それを仕切る壁や襖もたくさんあり、部屋割りは細かくなっていたのではないでしょうか。他の天主のように、だだっ広いオープンな空間ではなかったのだと思います」

▲天主跡から発掘された礎石群。大型の礎石が全部で111基ある。礎石の大きさや配置で、建物の大まかな構造が推測できるという(画像提供:滋賀県教育委員会)

実際、『信長公記』には、1階部分だけで合計19の部屋があったと記されている。仮に信長の居間をリビング、食事を用意する部屋をダイニングキッチンとすると、じつに17LDKだ。他の階の部屋も合わせれば42LDKである(※物置部屋の4階は除く)。

司祭のジョアン・フランシスコは『耶蘇会士日本通信』の中で安土城について「信長も迷うほどたくさんの部屋がある」と書いたそうだが、そりゃそうだろう。筆者は住宅系の雑誌で10LDKの超高級マンションを取材したことがあるが、そこですら迷路のようだった。

成功者とは、今も昔も家で迷いがちなものである。

▲『信長公記』『安土日記』に記された1階部分の特徴。1階の床面積だけで約1100㎡と、とんでもなく広く、19もの部屋があったという
▲3階部分。ここにも合計10もの部屋が。ちなみに4階は全部物置。贅沢!

と、なんとなく見えてきた住まいとしての天主の姿。だが、考察できるのは残念ながらここまで。実際に信長がどの部屋でどんなふうに過ごしていたかは『信長公記』にも書かれておらず、各々が頭の中で想像するしかない。

松下さん「天主は完成からわずか3年で焼失したこともあり、『信長公記』以外に有力な史料が残っていません。安土城跡に天主を復元してほしいと望む声もありますが、実際の姿を示す“証拠”がないため、完全に再現することは難しいのです」

▲こちらは安土城内にあったとされる羽柴秀吉の屋敷「伝羽柴秀吉邸」のCG推定復元。礎石の大きさや配置などから推測し、復元したものだという(画像提供:滋賀県教育委員会)