Interview / 2018 08,06 /Part.1

芸歴24年、狂気の芸風。野性爆弾・くっきーがブレイクした意外なきっかけ

強烈なインパクトを与えるビジュアル、そして複雑怪奇で独自の道を行く芸風のため、長いあいだメジャーなウケが難しい芸人とされてきた野性爆弾・くっきー。実際に、売れない時代も長かった。しかしながら、先輩芸人からは「オモロイやつ」と評価され続け、気付けば2017年からメディア露出が爆発的に増加。BSスカパー!の番組『BAZOOKA!!!』でのレギュラー起用に始まり、多くのバラエティ番組やドラマにも出演している。

さらに昨年の展示イベント『超くっきーランド』では3日で1万人以上を動員し、その人気が確固たることを証明してみせた。そんな彼にとって、人生が変わった瞬間はいつなのだろうか。“人生のターニングポイント”について、お話を伺った。

野性爆弾・くっきーさん

1976年03月12日生まれ。滋賀県出身。
1994年 に野性爆弾結成。コンビ活動の傍ら、展覧会『超くっきーランド』を開催するなどアーティストとしても活躍中。

「東京で活躍する」つもりがないまま、突然の上京

––現在大ブレイク中のくっきーさんが感じている、「人生のターニングポイント」はいつでしたか?

一番大きいのは10年ぐらい前、東京に出てきたときですかね。東京進出のきっかけはふたつあるんですけど、ひとつは大阪時代に「最も売れる吉本No.1芸人」を占いで決める正月の特番があって、そこで僕が1位だったんですね。

あとは大阪の「うめだ花月」という劇場に専属で出てたんですけど、閉館してしまって。それで、ちょっと大きめの「京橋花月」というところに移ることになったんですよ。ただ、そこでは今まで絡んだことのない師匠も出ることになっていて。それがめっちゃ嫌で(笑)。そのふたつが重なって、「ほな、行くとこないし東京行ってまえ」という感じで東京に行くことになりました。

––もともと、東京で活躍してやろう、みたいな思いはなかったんですね。

全然ないです、師匠に媚びへつらうのが嫌で大阪を出て行ったようなもんなんで(笑)。それで東京に出ると、すぐにゴールデンの番組に呼ばれたし、仕事がすごく増えたんですね。

でもやっぱり、まともなことを言えないキャラクターというか、芸風なもんで。そのやり方をずっと通していたら「こいつ気持ち悪い」「使えへん」と思われて、仕事が一気になくなってしまったんです。それからは、たまに劇場とか、深夜番組に出るだけという状態が何年も続いて。

––売れない時代を経て近年の活躍につながるわけですが、そのあいだには二度のコンビ解散危機などもあったそうですね。

最初は、大阪にいたころに「芸人総当たりトーナメント」が劇場であったんですけど、そこでべべ(最下位)になったら素人に戻されるという恐ろしい企画があって。

––恐ろしい……。

べべになったら恥ずかしいじゃないですか。だから、もしそうなったら芸人を辞めるって言ってたんですけど、本当にべべになったんです(笑)。宣言していたし、けじめとして辞めなあかんと思っていたら、ケンコバさんとハリウッドザコシショウが来てくれて、「お前辞めんなよ」って。

2回目は、ありがちやけど、仕事がなさ過ぎたんです。劇場に全然お客さんが入らへんから、当時人気のあった芸人を呼んだりしたんですけど、それでもだめで。

––そのときに、相方のロッシーさんが止めてくれたと。

そうそう。宮大工になりたいと思い始めていたから、相方を呼び出して「宮大工になるわ」って言ったら(ロッシーが)アイボンを垂らしたのかってくらいに涙を浮かべていて。「もうちょっと頑張ろうや」って言うから、あいつがこんなに泣くんやったら続けようと思って。ここも大きな転期やったかもしれないですね。