Interview / 2018 03,01 /Part.1

長い下積み時代の中で積極的に売り込んでつかんだチャンス

バラエティ番組「痛快TV スカッとジャパン」で「はい、論破!」が決めゼリフの"イヤミ課長"役の印象が強い人も多いのでは。
個性的な役柄で実力派として注目を集める俳優・木下ほうかさん。25年以上のキャリアを誇るベテラン俳優として知られていますが、その下積み時代は長かったといいます。一躍ブレイクしたターニングポイントを迎えるまで、どのような人生があったのでしょうか。

俳優 木下ほうかさん

1964年大阪府大東市生まれ。これまで数多くの映画・テレビドラマに出演している実力派。個性的な役柄で注目を集め、活躍している。

幼少期から憧れていた芸能界――回り道をしながらも俳優の道へ

Chapter.01

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––デビューは1981年の井筒和幸監督の映画とのことですが、どういった経緯で出演することになったのでしょうか?

小さいころから芸能への憧れがあり、高校生のときに新聞で不良映画のオーディションがあるという広告を見たんです。そこで受けにいったら合格し、ド素人だけどセリフももらえて。それまでは自分の進路に対して希望がなかったのですが、映画に出たおかげで役者の道に進みたいと思うようになりました。出演する前はアイドルに憧れていたんですけどね。

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俳優デビューを果たした16歳の当時

––アイドル志望だったのですか。その映画では不良学生を演じられましたが、まったく違った方向性ですね。高校卒業後は大阪芸術大学に進学したのも、やはり役者になりたいという気持ちからですか?

はい。俳優をやろうと決めたはいいけど、高校出た後はどうしよう……と。それで色々な劇団や養成所を調べました。調べていくうちに、大学で演劇を学べるということを知って、大阪芸大に入りました。

––そして大学を卒業して吉本興業に入った、と。

これも新聞で、吉本初の全国オーディションがあるというのを知って受けに行ったんです。何千人の中から僕を含めた10数名が受かりました。ただ、僕は舞台ではなく映像の中で演技をしたかったので、大学にしても、吉本にしても、ちょっと回り道はしたんですね。今考えたら、それも必要だったのかなと思いますが、そのころはずっと自分の方向性に迷っていましたね。

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吉本に在籍していた23歳のころ

––東京に出てきたのは、どのようなきっかけだったんでしょうか?

東京吉本に移籍したのがきっかけです。事務所を辞めるまでは半年ほど東京吉本でやっていました。そのときは、今も活躍している芸人さんたちと近所に住んでいて、何かあるとすぐ集まっていましたね。

––井筒監督とは初出演の映画以降、ずっと交流があるんですか?

25歳で上京するまで交流はなかったんですが、上京するときに手紙を書いたんです。そしたら返事がきて、それからはずっと親交があります。かわいがってもらったというと聞こえがいいですが、当時は弟子のような感じで、車の運転をしたり、お使いに行ったり、こきつかわれたと言ってもいいかもしれません(笑)。