Interview / 2018 03,01 /Part.1

長い下積み時代の中で積極的に売り込んでつかんだチャンス

バラエティ番組「痛快TV スカッとジャパン」で「はい、論破!」が決めゼリフの"イヤミ課長"役の印象が強い人も多いのでは。
個性的な役柄で実力派として注目を集める俳優・木下ほうかさん。25年以上のキャリアを誇るベテラン俳優として知られていますが、その下積み時代は長かったといいます。一躍ブレイクしたターニングポイントを迎えるまで、どのような人生があったのでしょうか。

日の目を見ない下積み時代……そこから生み出した処世術

Chapter.02

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––上京してからは、苦労もあったのでは。

当時は、なかなか本業の仕事もなく、あらゆるバイトをしていました。肉体的につらいバイトもありましたね。しかし、一番気持ちの上でつらかったのは、バイト先に後輩が来た瞬間です。働いていたお店に、ちょっと売れ始めた役者の後輩が来て、僕はちょうどそのお店のマットを交換していました。同じ役者を目指しているのに、立場の違いがはっきり見えたような気がして、そのときの悔しい気持ちは鮮明に覚えていますね。

––周囲と比べて焦りもあったのですね。

25歳で上京したころは、お酒を一滴も飲めなかったんですよ。酔っぱらうのも嫌だったし、ビールも苦くて苦手でした。でも、売れていない自分をアピールするには、酒場に行って、お酒を飲むしかないと思っていて。昔は「カルーアミルクならコーヒー牛乳みたいでなんとか飲める!」と思っていたのに、舌も変わってきたのか、今ではビールもおいしいと思うようになりましたけどね。そこからさらに覚えてもらうために、お酒の席では名刺を配っていました。

––名刺を配るアイディアはどこからきたのですか?

テレビや映画の関係者のいる飲みの席で挨拶しただけでは、その後「誰やねん」で終わってしまう。自分の名刺を配りたいというより、相手の名刺をもらいたかったんです。名刺をもらったら、その後に一生懸命手紙を書いて、自分の出た作品のチラシを送ったりしていました。

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––手紙を出したことで、なにかリアクションはありましたか?

最初はなかったですね。ポケベルが流行って、その後、携帯電話が普及しはじめた時代だったんですけど、連絡を取りやすくするために、そういった最新機器はすべて持っていました。一晩で3件の飲み会をはしごしたり、フットワークを軽くしていろいろなところに顔を出すようにしていたんです。1件目の飲み会を、「ちょっと電話してきます」と中座して、次の飲み会に行って。また40分くらいしたら1件目の店に戻ってくる。みんな酔っていますから、ちょっと抜けてもわからないんです(笑)。そんな時代でしたね。そんなふうにしていたら、2時間ドラマのプロデューサーから連絡をもらったんです。

––名刺の効果が出たんですね。

どうして僕に声をかけてくれたのかと聞いたら、しつこくチラシを送ってくるから気にはなっていたものの、とくに声をかけるタイミングもなかったそうで。しかし、そのドラマのキャスティング候補に、僕のプロフィール資料があったから「あいつか!」と思ってオファーをしてくれたそうなんです。やっぱり、しつこく送っていたら実を結ぶことはあるんだなと思いました。