StoryEssay / 2018 02,22 /Part.1

第1話「誰かといたかった」

新生活のはじまりは、期待や不安が入り混じるもの。就職を機に上京した主人公が、東京での暮らしの中で成長していくようすを描いた、ライター・夏生さえりさんによる連載小説です。

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ムワッと広がる湿っぽい空気を吸い込んで、首に滲む汗をぬぐいながら電話をかけた。カツンカツンと擦り切れたヒールの音が弾む夜道。呼び出し音が耳元で途切れると、機嫌の悪い声が届く。
「なに?」
「あ、ちょっと聞いてほしいことがあって……」
「だから、なに?」
「内々定、もらった」
「あぁ、おめでとう」

いつから、こんな風になってしまったのだろう。桜が散るころは、「わたしたちは二人で一つ」だと思っていたのに、こんなに早くに冷めてしまうなんて。

博識で新しいものが好きなカズヒロは、わたしをあらゆるところに連れて行ってくれた。行ったことのないレコードがかかるバーにも、夜景が綺麗だと言われる丘にも。毎日、毎日、飽きることなく一緒にいた。「時間は大事なものに使うべきだと思う」というカズヒロの考え方に共感して、わたしは常にカズヒロといたし、カズヒロも常にわたしといた。深夜に「さみしいから一緒にいて」と願えばすぐにバイクで来てくれて、そういうところが好きだった。大学卒業後は、地元である東京で(正確に言えば千葉らしいが)彼は働くつもりらしいと知って、私も東京で働ける勤め先を探した。いつかは一緒に六本木に住もう、なんて福岡の空に向かって話したこともある。

「六本木なんて住めるの?」
「ちょっと外れて、乃木坂あたりまで行っちゃえば意外とあるって、先輩が言ってた」

乃木坂。アイドルの名前でしか聞いたことがない。カズヒロはなんでも知っている。わたしたちは将来の約束をした、と、思っていた。

それが
徐々に「来て」と言っても彼が来なくなり、「わたしのことが大事じゃないの?」とケンカが絶えなくなった。わたしが怒り出すこともあれば、彼が怒り出すこともあって、それでも、まだ「ごめん」と抱き合えるうちは愛を深めていると信じていた、いや、信じていたかった。

「『あぁ、おめでとう』って……。ずっと頑張ってた就活だよ? 内々定もらったんだよ? わたし、東京で働くんだよ??」
「え、うん」
「よろこんでよ」
「いやだから、『おめでとう』って言ったじゃん」
「なんでそんなに不機嫌なの?」
「あー、ごめん。ていうかさ……」
「なに?」
「あ、なんでもない。さすがに今じゃないな、今度話すわ」
「え、なに?」
「いや」
「なに、言ってよ」
「あー……」
「はやく」
「別れたいんだけど」
「え、なんで?」
「他に好きな人できたから」
「え? うそだよね? わたしカズヒロと一緒だから東京に行こうと思ったんだよ? わたしたち、今までどれだけケンカしても”別れたくないから”って仲直りしてきたんじゃないの? 一生一緒にいたいからって言ってくれたよね? あれ、嘘だったってこと? ていうか、カズヒロってすぐそうやって嘘つくよね。その場しのぎっていうか。好きな人っていうのは? なに? 本気で言ってるわけじゃないよね? わたしから離れたりしないよね? するんだったらまじで許さないけど。ねえ、どう思ってるわけ?」
「東京行くのは、自分で決めたことでしょ。……ていうか、そういう風に責め立てるとことかも、キツイ」
「え、わたしはただ詳しい状況が知りたくて聞いただけじゃん。なのに、なんでそんな言い方す……」
「ごめん。けど、そういうことだから」

プツリと声が途切れ、すぐそばでセミが苦しそうにジジジと鳴いた。ぬるい空気がどんどん肺に入り込んで、気持ち悪かった。首の汗はいつのまにか止まっていて、なのに顔は熱かった。

誰にもつながっていない携帯を片手に、小さくつぶやく。

「……ねえ、乃木坂は?」

悲しさとか怒りとか、そんなことよりも前に、”焦り”が先行した。せっかく得た、”わたしを輝かせてくれるもの”を失ったという焦りと、圧倒的な孤独。約束を失った悲しさ。今晩、どれだけさみしくなっても、わたしを抱きしめてくれる人はいない。わたしを愛してくれる人はいない。わたしを連れ出してくれる人はいない。でも本当は、そのことにはずっと前から気づいていたような気もする。

急に心細くなって、後ろから襲いかかる虚しさを振り切るように、夜道を駆け抜けた。家に着いてから、何度も電話とLINEと、ありとあらゆるSNSを駆使してカズヒロに連絡をしてみたが、一度も返信はなかった。

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そこから数カ月は、寝ても冷めても、地獄のような日々だった。泣きわめく時期がすぎてからは、起きるたびに「悪い夢でも見ているのかもしれない」とぼんやりとした頭で喪失感だけを覚えた。起きてすぐに親友に電話をして、その日をやり過ごすための活力を得た。

「恋は楽しむものなんだから、恋にすがるのはやめなよ、ね?」

そう言って励ましてくれた友人には、数日後に新しい彼氏ができて、いつのまにか「別れの恨み節」をひたすら聞いてもらうLINEもしづらくなっていた。

結局、わたしは「誰か」を「恋人」に置きかえただけだったのだ。輝くために「誰か」が必要で、その「誰か」にすがっていきたいという自分。カズヒロと会う前と後で、自分は何も変わっていなかった。すきま風がひゅうと足元を駆け抜けていった。