StoryEssay / 2018 03,30 /Part.3

第3話「新しい暮らし、たのしみね」

新生活のはじまりは、期待や不安が入り混じるもの。就職を機に上京した主人公が、東京での暮らしの中で成長していくようすを描いた、ライター・夏生さえりさんによる連載小説です。

夏生さえり

フリーライター。出版社、Web編集者勤務を経て、2016年4月に独立。Twitterの恋愛妄想ツイートが話題となり、フォロワー数は合計18万人を突破(月間閲覧数1500万回以上)。難しいことをやわらかくすること、人の心の動きを描きだすこと、何気ない日常にストーリーを生み出すことが得意。好きなものは、雨とやわらかい言葉とあたたかな紅茶。著書に『今日は、自分を甘やかす』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。共著に『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』(PHP研究所)。『口説き文句は決めている』(クラーケン)。
Twitter:@N908Sa

駅前の歩道橋をあがり、開けた場所に立つと賑やかな上野が見下ろせる。喫煙所の反対側で手すりにもたれかかり、空を見上げると冬の大三角形がはっきりと見えた。これだけ明るい上野の街でも、あの3つの星たちだけはいつでもよく見える。あの街へいっても、それからこの先、どの街へいっても、冬になればこの星々が現れるだろう。今の、ゆるやかな幸せをしっかりと星座に“くくりつけた”。忘れることがないように。

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ブルル、ブルルとスマホが揺れる。

電話をかけてきたのはコウスケかと思ったが、表示されたのは「お母さん」の文字。

「もしもし? あ、スミレ? 引っ越しの準備、進んでる?」

「うん」

答えながら、あれ……と思った。これは、どこかで聞いたことがある。あのときわたしは山積みのダンボールを目の前にしていて……。ええと、あれは夢だっけ? それとも……。ああ、そうだ。思い出した、上京するときだ。同じように母と電話をして……、そして母はあのときも、こう言ったんだ。

「新しい暮らし、たのしみね」

前よりはずっと、この言葉をそのまま受け止めることができるようになった。甘美な響きの中に、不安はほとんど混じっていない。そのことに気づき、ふたたび幸せを噛み締める。

電話を切った後、「おまたせ」とコウスケが来た。

「なにしてたの?」

「あれ」

「ん?」

「冬の、大三角形」

「ああ。ほんとだ、綺麗に見える」

「あの星に、くくりつけたの」

「ん? なにを?」

「いまの、気持ちを。どこにいても、思い出せるように」

コウスケが、この言葉の意味をどう捉えたのかはわからない。

でも少し笑って、「見失わないから、いいね」と言った。

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この先も、きっと心が激しく揺れたり、激しく落ち込んだり、不安で心もとない気持ちになる夜もあるだろう。でも一方で、幸せに満ち満ちて、安心とほのかな倦怠に、心癒される夜もあるはずだ。この先も幸せでいるために何が必要なのかは、わたしにもわからない。

けれどひとつだけわかることがある。

いくつかの夜の先に、

いまわたしは立っているのだ。

これからも、この先も、そのことだけは変わらない。

ほのかな希望が、心に膨らんだ。それはハクモクレンに似て、長い冬を越えられそうなくらいの、淡くてたしかな希望だった。