StoryEssay / 2018 02,08

25歳で結婚の道を選んでいなかったら、進んでいた未来について

「もしも、第一志望の大学に合格していたら……」「もしも、あのとき会社を辞めていたら……」。
今とは違う"人生"を選んでいたときのことを、誰しも一度は想像してみることがあるのではないでしょうか。そのときの決断によって、住む場所はもちろん、人生も大きく変わってくるもの。
ライターのカツセマサヒコさんに、そんな「選ばなかった人生」のことを書いていただきました。

カツセマサヒコ

フリーライター。1986年東京うまれ。
編集プロダクション・プレスラボでのライター経験を経て、2017年4月に独立。広告記事、取材記事、エッセイ、物語等の企画・取材・執筆を行う。Twitterでの恋愛・妄想ツイートが10~20代前半の女性の間で話題を呼び、フォロワーは現在10万人を超える。
趣味はスマホの充電。

人生に「タラレバ」はないのだと言い聞かせて、31歳を迎えた。
選択は常に可能性を「選ぶ」というより「捨てる」感覚で行われて、気付けば家庭を持ち、子を持ち、会社から独立し、モノを書いて今に至る。

いつだって後悔のないように生きてきたつもりだし、選択した道を正解にするために努力してきたつもりだ。その結果が今であることにそれなりの誇りを持っているし、満足もしている。

とはいえ、どれだけ全力で生きてみても、きっと人はいくつかの後悔を残す。ふと気を緩め、辺りを見回した瞬間、隣の芝が青く見えてしまうように、「もしもあのとき、別の道を歩んでいたら?」と、過去の亡霊を追ってしまうことも珍しくない。

まだまだ不惑の年齢には至らない、30代に入ったばかりだけれど、僕もそんな「過去への執着」をいくつか持っている。ただ、今思うとそれは、ここ数年でやっと「後悔」から「モチベーション」に変えられたものが多くて、「ああ、大人ってそういうことか」と妙に納得している。

今回は、そんな「過去への執着」をひとつ紹介したい。僕が25歳のときに降りかかった、「運命のイタズラ」とも思える人生の分岐エピソードだ。
他人のこうした話は得てしてつまらないことが多いし、大して興味も沸かないかもしれない。でも、耳を傾けてみてほしい。夢を諦めるとは、どういうことか。そしてそこからどのように立ち直るのか。今、挫折した多くの人にとって、何かの助けになればと思う。

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25歳の2月に、結婚をした。結婚の決め手は何だったかといった話はさておき、僕はプライベートの時間を嫌というほど満喫するようになった。
しかし、人生の大半が仕事の時間と言われるなかで、肝心の仕事はまったく退屈で、思い通りにいかなくて、ヘマばかりしては自信喪失を繰り返す日々だった。

頭に浮かぶのは「辞めたい」という4文字ばかりで、次に浮かぶのも「逃げたい」という4文字だったから、もう前を向く気力は残されていなかったのだろう。僕はどうにか現実から逃避する方法を探して、SNSの濁流にへばりついては、チャンスのロープが流れてこないかと目を皿のようにして見つめ、粛々と暮らしていた。