StoryEssay / 2018 02,08 /Part.1

25歳で結婚の道を選んでいなかったら、進んでいた未来について

「もしも、第一志望の大学に合格していたら……」「もしも、あのとき会社を辞めていたら……」。
今とは違う"人生"を選んでいたときのことを、誰しも一度は想像してみることがあるのではないでしょうか。そのときの決断によって、住む場所はもちろん、人生も大きく変わってくるもの。
ライターのカツセマサヒコさんに、そんな「選ばなかった人生」のことを書いていただきました。

きっかけは、Twitterだった。タイムラインに流れてきた、体感型脱出ゲームの司会者オーディションの募集告知。
以前から人前で話すことは、嫌いじゃなかった。それに、ゲームの参加者として何度も足を運んでいたので、大体の流れはわかっていた。

周りに黙って選考を受けてしまえば、仮に落ちても誰も知る由もないし、ゼロに戻ってもマイナスに落ちることはない。会社員をやりながらステージに立てるかどうかは受かってから決めればいいし、このオーディションは、リスク・ゼロで挑める最高のチャンスだ。素直にそう思えた。

案内のとおりにエントリーを済ませると、オーディションで使用するための「過去の解説台本」が送られてきた。15分ほどの文量のテキストファイルだった。長い。オーディションは2日後だが、暗記するには時間がなさすぎる。それでも、挑むしかなかった。この選考に落ちれば、また元の退屈な生活が口を開けて待っている。「マイナスにはならない」とわかっている。でも、「ゼロに戻るだけ」なのも、それだけで十分イヤだった。

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当日は、20名弱の応募者がいて、中にはプロの司会業の方の姿もあった。受かりっこないオーディションだった。審査方法はシンプルで、全員が見ている前でステージに立ち、台本通りセリフを言う。全員が、全員の演技を見る。

すべての演技を終えた段階で、客観的に見て、自分が半分よりは上位にいるとは思った。ただ、トップでないことも明確だった。つまり、落ちたと思った。
でも、受かったのは、僕と、もう一人の男性だけだった。どんな理由だったかはわからない。ただ、確かだったのは、選考を突破し、司会者として「もうひとつの顔」を持つことができたのは、間違いなく僕ら二人だけだったということだ。

果たして人気ゲームの司会という大役をこなせるのか、会社との両立はできるのか。疑問だらけだったが、受かったからには飛び込むしかなかった。「これから、忙しくなるぞ」、自分に言い聞かせて、月曜~金曜のサラリーマンと、土日祝日の司会業を、全力で回す日々が始まった。

あのときほど充実していた人生を、僕は知らない。

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本業のサラリーマンでしんどいことがあろうとも、僕にはスーパーマンのように、司会者というもうひとつの正体があった。それは仕事における精神的な負担をかなり軽くして、本業で起きる大抵の出来事は、自分にとってどうでもいいことのように思えた。

土日になれば、一回あたり1時間半の公演を、朝早くから夜遅くまで6回公演した。解説が終われば熱狂的な拍手に包まれ、帰り際に握手を求めてくる人までいた。
それは、これまで燻った人生を過ごしてきた僕にとって、まぎれもなく「全盛期」と思える最高の経験だった。「一生、この熱狂が続けばいい」、ちょうど夏の時期だった。僕の感情も、ただひたすらに熱く、むさ苦しくなっていった。