StoryEssay / 2018 02,08 /Part.1

25歳で結婚の道を選んでいなかったら、進んでいた未来について

「もしも、第一志望の大学に合格していたら……」「もしも、あのとき会社を辞めていたら……」。
今とは違う"人生"を選んでいたときのことを、誰しも一度は想像してみることがあるのではないでしょうか。そのときの決断によって、住む場所はもちろん、人生も大きく変わってくるもの。
ライターのカツセマサヒコさんに、そんな「選ばなかった人生」のことを書いていただきました。

現実に引き戻されたのは、週7日労働という多忙な日々にも慣れてきて、1カ月ちょっと過ぎたころだった。

家に帰ったら、妻の姿がなかった。

そこで、ようやく気が付いた。ここ数日の彼女の浮かない表情も、どこかトゲのあった反応も、いつになく不機嫌だった日も、すべてすべて、僕が持ちうるあらゆるリソースを、妻ではなく司会業に注いでいたのが原因だったということに。

冒頭に書いたように、僕らは新婚だった。

新婚の夫婦において、妻が家を出て行った場合、夫がやるべきことはただひとつで、追いかけて、自分の過ちを認め、これからどのように改善するかを伝えることだけだと思った。

答えは、決まっていた。

僕は体感型脱出ゲームの司会者を降りることになった。
大いなる熱狂から、自ら遠ざかることにした。それも、かなり強引に、突然に、すべてを辞めた。その結果、イベント運用会社には多大な迷惑をかけることになって、二度とオファーが来ることもなくなった。

人生最大の全盛期は、その日を境に、自己最大規模の美しい黒歴史に変わったのだった。

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「もし、あのとき、結婚していなければ」
僕はきっと、エンターテインメントという引力に吸い込まれ、司会者という自分に与えられた特別な役割にどんどんのめり込み、きっとサラリーマンを辞めていただろう。

そしたら、その先には、何があったのだろうか。

僕が司会を務めていた体感型脱出ゲームを運営しているイベント運用会社は、今も業界のトップを走り続けている。
僕は僕で、あのときの司会のようにはうまくいかなくとも、多くの人にさまざまな感情が芽生えるようにと、ライターとして記事を書く仕事に転職をした。

この現実は、あのとき描けそうだった未来とは、まったく別のものだ。
でも、人生に「タラレバ」はない。あのとき僕が捨てた選択肢にも、きっと別の困難と成功が待ち構えていたのだろう。でも、今を生きるこの僕の前にそれは訪れないのだ。

だから、今日も、誰かのために文章を書いているこの現実を信じたいし、肯定したい。
あのときの自分を超えるように生きることが、今の僕のモチベーションであるし、あのときの自分が今の僕を見て悔しがるように、胸を張って歩いていたい。

同時に、何かに挫折した人が、改めて現実の世界を歩き出そうとしているならば、是非その人生を強く賞讃し、肯定してほしい。そう思っている今日このごろだ。