StoryEssay / 2017 08,21 /Part.5

40歳出版社勤務、人生転がり続けた男の物語小説 最終章。勇次、最後のリライフ。

出版社に勤める勇次は、大阪府豊中市で生まれ育ち、明治大学経済学部を卒業。学生時代から10年付き合った恋人とまさかの結婚1年で別れてしまった×1(バツイチ)男。
これからお話しするのは、そんな勇次が離婚、転職、友人関係、恋愛、お金など様々な人生の局面で必死にリライフ(=人生の再生)を繰り返し、大きくなっていくヒューマンドラマです。

驚くほど清々しい、水と空気 郡上八幡の暮らし 勇次がついに手にした新たなる人生

Chapter.18

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けれど、東京へ帰っても移住への決意は揺らぎませんでした。
盆休み明けにはすぐに辞表を提出し、9月末で退職することが決まりました。辞めるまでの間、郡上の友人と連絡を取り合って新居探しを手伝ってもらい、退職したらすぐに引っ越せるよう準備を進めました。
バタバタのなかで順子さんとの連絡は途絶えていましたが、未練よりも新生活への期待が上回り、どこか清々しい気持ちでしたね。

郡上での滑り出しは快調でした。
会社員時代の人脈を活かしてモバイルワークをしつつ、借りた畑で地元の人に教わりながら有機農業を始め、コミュニティペーパーの構想も練り始めました。

郡上に来て良かったのは、水と空気がおいしいことです。たとえば、水道水で炊いた白飯が驚くほどウマいんです。人間関係も煩わしくなく、暮らしは快適でした。友人を通じて少しずつ知り合いも増えていき、徐々に生活が楽しくなっていきました。

ある晩、農業を営んでいる友人の森脇さんと飲んでいると、古民家を改築して農家民宿を始めようと思っている、という話題が出ました。森脇さんは、収穫した作物を使った料理を提供したり、宿泊客とともに農作業をすることで、郡上をより深く知ってほしいと、熱く語りました。
改築にあたっては、業者を入れずにセルフリノベーションをするから、手伝ってほしいと言うのです。
僕自身も、郡上のすばらしさをたくさんの人に伝えたいという思いがあったので、依頼を快諾しました。
そして、この話をもらったことで、コミュニティペーパーの方向性が定まりました。森脇さんのように郡上に根を張って暮らしている人たちの日々を、誌面で伝えようと思ったのです。

突然の訪問者 転がり続けてきた男の最終章

Chapter.19

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それからは、時間の空いているときにリノベーションを手伝うことになりました。
壁を抜いたり角材を運んだりするのは、なまっている身体には少々きつかったですね。それでも、森脇さんの夢が徐々に形になっていく過程を見るのは楽しいものでした。

10月も終わりが近づいている土曜日、いつものように手伝いの大工仕事に没頭していると、外にいた森脇さんから「お客さんだよ」と声をかけられました。
……そこには、順子さんと千夏ちゃんが立っていました。
そして順子さんが「これ、差し入れです」と、アイスクリームの入ったビニール袋を差し出してくれたのです。なんでも順子さんは、偶然にも僕と森脇さんがよく行く海鮮居酒屋で昼食を食べ、話の流れでマスターから僕たちの居場所を聞き出したそうです。
僕自身はふたりがなぜ突然現れたのかさっぱり理由がわからず、しばらく固まってしまいました。

ぎこちなくあいさつを交わし、三人でアイスを食べ始めますが、なかなか会話も弾みません。すると千夏ちゃんが、不意に話し始めたのです。

「ねえ、お母さん。いつこっちに引っ越してくるの?」

「ちょっと、ちーちゃん!」

この一言は本当に衝撃的で、飛び上がりそうになりました。
順子さんが千夏ちゃんに移住の相談をしていた、ということですから。

「……来てくれないのかと思っていました」

「私、“今すぐは”無理って言ったんです」

「そう……でしたっけ?」

「そうですよ。なのに、あれから一度も連絡してくれないんですもん」

順子さんはそう言って、拗ねたような顔を見せます。そして、おもむろに千夏ちゃんと話し始めました。

「ちーちゃん、春ごろになったらこっちに引っ越してこようか」

「夏休みになったら川に飛び込んでもいい?」

「もう少し大きくなったらね」

「やった~!」

「全然連絡をくれない人がいるから、ふたりで暮らそうね」

やはり、順子さんは根に持っているようでした。

「い、いやいや、そこは三人で!」

あわてて僕が口を挟むと、順子さんは「どうしようかな~」と意地悪く言いました。
それを見ていた千夏ちゃんも、意味もわからず「どうしようかな~」と真似をします。
ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

遠くから心地いい清流のせせらぎの音が、聞こえてきます。
僕たち三人の脇を、爽やかな風が静かに通り抜けていきました。

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【完】