StoryEssay / 2017 10,16 /Part.3

六本木でモエ・エ・シャンドンを

別々の場所で生まれ育ち、そして上京して出会った、とあるカップル。そんなありふれたふたりが「東京」という街で共に暮らしていく些細な日常を、ライター・カツセマサヒコさんが丁寧に描くショートストーリーです。

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タクシーが夜の東京タワーに到着すると、僕らは展望台を目指した。

東京に越してきてからというものの、彼女も僕も東京タワーにのぼったことは一度たりともなかった。「そんなこと言って、どうせほかの女と来たことあるんでしょ?」と疑ってくる彼女を軽くかわしながら、展望台へ向かうエレベーターが目的地へ着くのを待った。

独特の音とともに扉が開くと、視界が一気に開けた。

ここ最近は不安定な天気が続いていたが、見事なまでに澄み渡った空だった。僕らが東京で見た景色の中で、一番きれいな光景が目の前に広がっていた。
それは、自由が丘駅を見下ろすカフェから眺めた街並みよりも、高円寺のさびれた公園から見た空よりも、何倍も何十倍も東京らしい光景だった。

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「あのさ」
「うん」

目の前に広がる景色に圧倒されている彼女に、少し早いと思いつつ、切り出した。

「プロポーズしていい?」

もうするの? という顔をされると思ったが、彼女は彼女で、このタイミングが嫌いじゃないみたいだった。

「確認取るって、新しいね」と言いながら、少し距離を離して、僕の正面に立った。

「もしも『ダメ』って言ったら、どうする?」
「そうだな、とりあえず帰りは、階段で帰ってもらう」
「思ったよりキツいなあ」

ケラケラと笑った。この空気が好きだった。サプライズとか、僕には向いていないし、きっと狙っていっても、失敗する。それを見越してか、ドラマチックで可憐に生きることを望む彼女だって、この場だけは見栄を張らないようだった。

「いいよ、聞かせて?」

彼女は、いつもの見透かすような瞳で僕を見つめる。

「ベタなセリフでごめんなんだけど」

それでいいよと言うように頷く。

「ずっと大切にするから、僕と、結婚してください」

最後まで言い切れたのか、わからない。彼女は胸に飛び込んできて、痛いぐらいに抱きしめた。

「お願いします」

その声で、泣いているのがわかった。

何の変哲もない男の、何の捻りもないプロポーズに涙したことを、悟られたくなかったのかもしれない。彼女は僕と絶対に目を合わせぬよう、腕にさらに力をかけた。

僕は彼女の頭を撫でながら、胸ポケットにしまっておいたハンカチをそっと握らせる。
彼女は胸元で涙をぬぐいながら、グズグズと音を立てて言う。

「ハンカチなんて、いつも持ってないじゃん」

「ハンカチは、女性が泣いたときに差し出すためにあるって、ロバート・デ・ニーロが言ってたから」
「それ、『マイ・インターン』のシーンじゃなかった?」
「正解。嫌いな映画だったよな」
「その台詞だけは、好きだった」
「ホント? でも、本当に伝えたかったのはそこじゃなくて」
「うん?」

濡れたばかりの瞳に、焦点を合わせる。
「初デートのことだって、きちんと細かく覚えてるからって、言いたかった」

できるだけクールに、落ち着いたトーンで、前もって考えてきたセリフを伝えた。後半、頬がひきつる感覚が残った。つくづくこういうセリフが似合わない。

「口説き文句が、キザすぎる」

彼女は、泣きながら笑った。
僕もそれにつられて、涙腺を緩ませた。

「ドラマチックが好きだってわかってるから、格好つけたのになあ」

すぐにでも笑いに変えないと、恥ずかしくてその場から逃げ出しそうだった。

「プロポーズって、それだけで十分ドラマチックだよ。演出する必要なんて、これっぽっちもないよ」

それは正論のようにも感じたし、フォローしてくれているようにも思えた。

「飾らずまっすぐ届けてくれるのが、この世で一番素敵だよ」

その笑顔が、出会って5年経っても、愛おしかった。

「あーもう、今のでますます結婚したくなった」
「バーカ」

笑う彼女と、その後ろに広がる東京の夜景が、一枚の画のようだった。
ロバート・デ・ニーロの台詞を忘れても、この景色だけは忘れないと決めた。

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「引っ越すなら、どこがいい?」

帰りのエレベーターで、僕は尋ねる。

「今度こそ、中目黒かな」

涙を引っ込めた彼女は、じっくり考えた末での結論とばかりに言った。

「じゃあ、今度は14万円上限で」
「お、私たちも、出世したねえ」

ふたりして、笑う。

東京の象徴の麓から、僕らの新居探しが、再び始まった。

 

おわり