高輪
賓客を迎えるゲートウェイ
グランドプリンスホテル高輪
江⼾時代、⾼輪の⾼台は⼤名や旗本の下屋敷、今でいう別邸が⽴ち並び、その主は眼下の東京湾や名⽉の景観で客⼈をもてなした。明治時代には政財界⼈や皇族の邸宅となり、外国の賓客も迎えた歴史は、⽵宮邸跡のグランドプリンスホテル⾼輪に受け継がれている。
1971(昭和46)年に竣⼯した地上14階建ての本館。2016(平成28)年にリニューアル⼯事が⾏われたが、クラシカルな趣は変わらない。
景⾊でもてなす伝統は今も
かつて東海道の高輪海岸は、海と月の景観を楽しむ景勝地であった。ことに旧暦7月26日の夜中に現れる月を待つ、「廿六夜待(にじゅうろくやまち)」の名所とされ、月を待つ人と出店で高輪海岸が賑わう様子は数々の浮世絵に描かれている。他方、高輪の高台に別宅を構える大名や旗本は、邸内からの海や月の景観で客をもてなした。明治時代、高輪の高台に住む後藤象二郎宅に行幸した明治天皇も海の景観を鑑賞したという。維新の功労者で、新政府の要人となった象二郎の自宅は、梅林や牧場などもある広大なものだった。政府は象二郎没後にその土地を買い上げ、皇族の邸宅用地として活用した。
第二次大戦後、皇族の制度が見直され、多くの宮家が廃止された。高輪では竹田宮(たけだのみや)の邸宅などが西武グループに売却され、1953(昭和28)年、高輪プリンスホテル(最初の名称は品川プリンスホテル)、現在のグランドプリンスホテル高輪が開業した。同年は日本初の国際路線、東京―サンフランシスコ便の運航が始まった年でもある。高輪プリンスホテルは、様々な団体の会合や海外の要人を迎えての宴会などに利用され、日本の経済発展や国際交流を支えた。高度経済成長期の1971(昭和46)年には現在の本館と日本庭園が竣工した。
その後の石油危機、バブル経済とその崩壊など、景気の変動とともにホテル業界は浮沈を繰り返し、高輪プリンスホテルもその波にさらされたが、美しい日本庭園とクラシカルな佇まいはいつの時代も幅広い層の人々に愛された。名称は2007年(平成19)年より現在のものに改まっている。
2010年代、外資系ホテルの進出が進む中、グランドプリンスホテル高輪は2016(平成28)年、全客室のリニューアルに踏み切った。人々が交流する高輪・品川の街の発展に合わせ、訪日外国人とエグゼクティブ層の受け入れを強化することが目的である。彼らが求める日本らしい特別な体験を提供するため、旅館のおもてなしが味わえる別館「高輪 花香路(はなこうろ)」を新設。空間の随所に日本らしいラグジュアリーを取り込んだホテル内の旅館は、日本人旅行者も引き付けた。また、日本庭園では四季を感じられるライトアップ・イベントに力を注ぐようになり、現在は月待ちの文化を現代的にアレンジしたイベント「高輪廿六夜」を開催中である。美しい景色で客をもてなす伝統は、グローバル時代に新しい価値を持ち始めているようだ。
グランドプリンスホテル⾼輪のエントランス。リニューアルでは和の要素を随所に取り込み、品格ある⽇本らしさを表現した。
館内の「フランス料理 ル・トリアノン」は本館の竣⼯以来、50年以上続くフレンチレストラン。重厚な空間でインスピレーションあふれる料理を提供。
ホテル内の旅館「⾼輪 花⾹路」。全16室はすべてスイート。畳の⾹りや障⼦を透かす光など、⽇本の美を五感で体験できる。
広⼤な⽇本庭園は、本館の建設とともに皇居新宮殿なども⼿がけた造園家によって作庭された。17種約210本のサクラをはじめ四季折々の花々が彩る。
⽇本庭園の数寄屋建築は、昭和を代表する建築家の⼀⼈、村野藤吾が設計した「茶寮 惠庵」。茶会や会⾷、⽇本⽂化を体験するワークショップなどに利⽤されている。
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目次
高輪エリア全体MAP
REAL PLAN NEWS No.127 掲載