Column / 2019 08,23

幼少期から青春時代まで。「僕の知らない母親」が住んできた街を、思い出とともに巡ってみた

自分が生まれる前の親の人生とは?身近な存在でありながら実は知らないことが多い親の人生。今回は嶋田さん親子に協力してもらい、母親が昔住んでいた街を訪問。それぞれの土地での思い出を共有してもらいました。

小野洋平(やじろべえ)

1991年、埼玉県生まれ。東京の編集プロダクション「やじろべえ」所属。今までの実家引っ越し回数は4回です。
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【小野洋平/Twitter】https://twitter.com/onoberkon

多くの人にとって最も身近な存在といえる親。しかし、自分が生まれる前の親の人生を詳しく知っている人は少ないように思う。たとえば、幼少期や青春時代。どんな街で、どんなことを考え、どんな人生を送っていたのか、みなさんはご存知だろうか?

そこで今回は、実際の母子に協力してもらい、母親がかつて住んでいた街を息子とともに訪問。母の子ども時代、初めての一人暮らし、結婚してから……それぞれの街での思い出を共有してもらうことにした。

■「仲良しだけど、昔のことはよく知らない」嶋田さん親子

今回、協力してもらったのは嶋田さん親子。こちらは母親の嶋田秀子さん(62歳)。現在は、生まれ育った千葉県旭市に住んでいるが、学生時代や新婚時代は違う場所で暮らしていたとのこと。

そして、こちらが息子の嶋田光宏さん(30歳)。光宏さんは現在実家を離れ、都内で一人暮らしをしている。

親子仲は良く、日頃から連絡は取り合っているというが、自分が生まれる前の母親のエピソードは「ほとんど知らない」と光宏さん。照れもあるのかもしれないが、やはり親の若い頃について会話をする機会は少ないのかもしれない。

それでは早速、秀子さんの思い出の街を巡っていこう。

■進学を機に上京。初めて親元を離れて暮らした「東京都墨田区(両国駅)」

はじめに巡るのは、東京都墨田区の両国から台東区の蔵前にかけてのエリア。地元の高校を卒業後、和裁の専門学校へと進学した秀子さん。当時、両国には祖父の弟さんが暮らしていたそうで、18歳だった秀子さんはその家に下宿し、2年ほど過ごしたそう。

……ちなみに本来であれば、ここから息子の光宏さんと一緒に歩いてもらう予定だったのだが、諸事情(光宏さんの寝坊)により、両国時代は筆者が息子代理として秀子さんの思い出を聞く。息子~、はやく来て~!

 

<お母さんの思い出の場所その1>通学で何度も渡った「厩橋(うまやばし)」

▲墨田区と台東区を結ぶ厩橋

秀子さん(以下、母)「厩橋は通学の帰り道、蔵前駅から自宅へ向かう時にいつも渡っていました。行きは両国駅を使っていたんですけど、帰りは蔵前駅を利用していたんですよ」

息子代理(筆者)「え、なんで?」(※息子なのでタメ口でいきます。息子じゃないけど)

母「学校が中野駅にあったので、本当は行きも帰りも総武線1本で行ける両国駅の方が便利なんですけど、学校帰りはいつも銀座に繰り出していたんです。当時から歌舞伎や宝塚にハマっていたので、銀座で趣味を楽しんで地下鉄で蔵前駅まで帰っていました」

息子代理「その頃から歌舞伎や宝塚が好きだったのかー。じゃあ、好きなものを見て厩橋を渡る時は、さぞ気分が良かったんだね、お、お母さん(息子役のテンションにまだ慣れていません)」

▲と、おもむろに指をさすお母さん。その先には…

母「あっLIONのビルだ、懐かしい! 当時からあったんですけど、あんなに綺麗だったかな。40年前となると、やっぱり記憶が曖昧ですね」

息子代理「大丈夫、歩きながら思い出していこう!」

母「でも、橋からの風景はまるで変わりましたねえ。当時は木造の家ばっかりだったのに、よくここまで高いビルやマンションが建ったなあ……。もちろんスカイツリーもなかったし、昔住んでいたとはいえ、別の街に感じられます」

そう言って、少し寂しそうな表情を見せる秀子さん。か、かあちゃん……。

 

<お母さんの思い出の場所その2>行きつけ?だった洋食屋「ライオン」

母「この高架下も懐かしいな~! 犬の散歩が日課だったので、雨の時はここを通って両国駅の方まで歩いたんですよ」

息子代理「そうなんだ。散歩中によく行った場所とかはある?」

母「家の近所に『ライオン』っていう洋食屋さんがあって、そこにはよく通った記憶がありますね。あれ、でもこの通りに面していたはずなんだけど‥‥…見当たらない。というか、当時このあたりにズラーっと並んでいたお店、ほとんどなくなっちゃってますね」

ちなみに、近所の人に聞き込みしたところ「ライオン」は15年ほど前にお店を畳まれたとのことだった。「残念……」と肩を落とす秀子さん。かあちゃん……。

息子代理「……思い入れの深い、大切な店だったんだね。何のメニューが好きだったの……?」

秀子さん「う〜ん、ハンバーグだったかな? トンカツだったかな? よく来ていたはずなんですけど、いかんせん記憶が……。もしかしたら、近所のラーメン屋さんの方が通っていたかも(笑)」

息子「思い入れ、意外と薄かった!」

 

<お母さんの思い出の場所その3>お気に入りの散歩スポット「横網町公園」

母「あと、家からも近かった横網町公園にはよく行きました。この荘厳な慰霊堂は当時からありましたね。春には綺麗な桜が咲くんですよ」

秀子さん「そうそう。横網町公園への散歩帰り、職務質問されたことを思い出しました(笑)」

息子代理「え!! 昔はそんなに怪しかったの?」

母「怪しかったんでしょうね。和裁の学校って宿題が多く、徹夜作業も珍しくなかったんです。それで、明け方頃に気分転換で散歩をしていたんですが、時間も時間だし、服装も当時では珍しいダメージジーンズを履いてた。徹夜明けの放心状態で、なおかつボロボロの格好してるんですから、そりゃ職質されるのも無理ないかなと」

これは、おそらく光宏さん(本当の息子)も知らなかった事実だろう。そりゃあ親だって多少やんちゃだった時代もあるだろうし、若さゆえの失敗もあったはずだ。

親として、そういうエピソードは我が子には隠したいものなのかもしれない。しかし、成人し、当時の親と年が近くなった子どもであれば、微笑ましく受け止められるような気がする。実際の息子が今ここにいないので、すべて憶測だけれども。

果たして息子は来るのだろうか? こうご期待!!