Column / 2019 08,23

幼少期から青春時代まで。「僕の知らない母親」が住んできた街を、思い出とともに巡ってみた

自分が生まれる前の親の人生とは?身近な存在でありながら実は知らないことが多い親の人生。今回は嶋田さん親子に協力してもらい、母親が昔住んでいた街を訪問。それぞれの土地での思い出を共有してもらいました。

小野洋平(やじろべえ)

1991年、埼玉県生まれ。東京の編集プロダクション「やじろべえ」所属。今までの実家引っ越し回数は4回です。
【やじろべえ株式会社】https://www.yajirobe.me/
【小野洋平/Twitter】https://twitter.com/onoberkon

■天国と地獄を味わった新生活「千葉県千葉市美浜区(検見川浜駅)」

専門学校を卒業後、呉服屋に就職した秀子さん。24歳で結婚し、27歳の時に夫の仕事の都合で千葉県千葉市美浜区にある検見川浜へ引っ越した。

そして、31歳の時に3人目の子どもとなる光宏さんを出産。こうして、5人家族となった嶋田家の生活がスタートした。

というわけで、次は検見川浜へ向かうことにしたのだが、

ここで、リアル息子の光宏さんが合流(よかった……)。以降は、ニセ息子は引っ込み、実の親子の会話でお届けしていきます。

やってきたのはJR京葉線にある検見川浜駅。

母「あら〜駅前も綺麗になっちゃって。光宏は覚えている?」

光宏さん(リアル息子、以下息子)「俺が幼稚園まででしょ? 全く覚えてないね」

母「駅前にショッピングセンターなんてなかったな〜。私たちが引っ越してきた時はまだ京葉線も開通する前だったから」

息子「今でこそ駅前を中心に栄えているけど、当時は生活も不便だったんじゃない?」

母「不便だった。大きな買い物の時は、隣町のショッピングセンターまで自転車を漕いでたんだよ? あの頃もマンションや団地は多かったけど、ここまで賑やかになるとはな~」

息子「駅ができてから、一気に便利になったのかもね」

母「でも、光宏が通ってた駅前のプールはなくなっちゃったみたいだね」

息子「え? プールなんて通ってないよ、おれ」

母「通ってたよ!」

息子「通ってない!」

▲親子喧嘩が始まりそうだったので、おねえちゃんに電話で確認。結果、「通ってた」で決着しました

無事に和解したところで、お母さん思い出のスポットを巡っていこう。

 

<お母さんの思い出の場所その4>団地の子どもとハトが集った「真砂第三公園」

息子「うわぁ〜この場所は覚えているわ。ハトポッポ公園だよね、ここ?」

母「覚えてるんだ。ハトがたくさんいたからハトポッポ公園。なつかしいね~。団地の中にある公園で、小さいからマンションとか駐車場になっちゃってるかと思ったけど、残ってたんだね」

母「当時はもう仕事もやめていたから、毎日のように同じ団地のママ友たちとここに集まってたな~。ママ同士はみんな仲良しで、他にも色んなところで遊んだよ。子どもたちを学校に送り出したら、私たちはテニスをエンジョイ。夜になったら近くのカラオケに集合して。幕張のプリンスホテルのバイキングもよく行った」

息子「優雅! 検見川浜ライフをめちゃくちゃ堪能してるじゃん!」

母「楽しかったよ~。でも、光宏もハトと楽しそうに戯れてたよ」

息子「……」

▲ハトとポッキーが大好きだったという光宏さん。当時も今も光は苦手だそう

 

<お母さんの思い出の場所その5>丈夫で世話好きの息子が通った「こざくら第二幼稚園」

息子「当時の俺って、どんな子どもだったの?」

母「手がかからない子だったよ。体も丈夫で、全然泣かずによく寝てた」

息子「よく寝るのは今と変わらないね。今日も寝坊したし……」

母「それはどうかと思うけど、面倒見も良い子でね。幼稚園の頃は友達の世話もよくしてたみたいで、一度クレームが入ったこともあったわよ。うちの子にベタベタ触らないでって(笑)」

息子「そんな世話好きだったんだ(笑)。……全然覚えてない」

母「手間がかからない分、当時は助かったよ。じつは検見川浜時代の後半はバブルが崩壊してお父さんの仕事も打撃を受けたから、経済的にもしんどい時期があった。もちろんテニスやカラオケもお預けで、ストレスが溜まっていたんだよね(笑)。でも、三人の子育てで苦労することはあまりなくて、今思えば有難かったなって」

息子「そうだったんだ。記憶にはないけど、当時は家計が厳しかったって話は聞いたことがある……」

母「正直、天国から地獄だったよ(笑)。そのうち月4万円の家賃を払うのも厳しくなって、お母さんの実家がある旭市にみんなで引っ越したんだから」