Column / 2019 02,22

天守閣の住み心地 vol.1
天守閣に住んだのは唯一、織田信長だけ? 
幻の「安土城天主」その“住み心地”を考察してみる

日本の城の天守閣が居住空間として使用された例は少なく、唯一日常生活を送っていたといわれるのが織田信長だ。安土城の天主で信長はどんな生活をしていたのだろうか考察すべく、現地を訪れた。

榎並紀行(やじろべえ)

東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は話せません。
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かつて、日本には様々な城が築かれた。その多くが立派な「天守閣」を有している。歴史に疎い筆者はこれまで、この天守閣が“城主の住まい”だと思っていた。だって志村けんのバカ殿でも、しむけんは天主閣に暮らしていただろう。

ところが史実を紐解くと、日本の城の天守閣が居住空間として使用された例は、じつはほとんどないのだとか。なんでも、天主は「権力の象徴」であったり、「籠城戦の際に立てこもる最後の砦」としての向きが強く、そもそも居住用には作られていないとのこと。

だが、例外もある。普通は住まない天守閣で、唯一日常生活を送っていたといわれるのが織田信長である。さすがは第六天魔王(※信長の異名)だ。常識にとらわれないというか、本丸御殿という立派で住みやすそうなお屋敷がほかにあるのに、あえて一番でっかい建物に住まおうという豪胆さ。他の諸大名とはやはり一味違う。

▲この記事のために安土城や信長関連の文献を読みあさる。安土桃山時代に特化した日本史の学力がぐんぐん伸びた

ちなみに、安土城の天主(※当時は天主閣のことを「天主」といった。以後、天主に統一)は本能寺の変後、天主を含む本丸が焼失。ほどなく廃城となってしまったため、その詳細はナゾに包まれているのだが、さまざまな学者・研究者が“復元”を試みている。

実際のところ、安土城天主はどんな間取りで、どんな設備があり、信長はそこでどんな生活をしていたのだろうか? 安土城の「天主の住み心地」を考察すべく、現地を訪れた。

■信長は本当に「天主」に住んだのか?

というわけで、やってきたのは滋賀県近江八幡市。

▲安土城の最寄り駅はJR琵琶湖線「安土駅」

JR琵琶湖線の安土駅から30分ほど歩くと、かつて安土城が築かれた安土山がこんもりとそびえている。そのふもと一帯には安土城関連の施設も集中。安土城跡や織田信長関連の展示を行う「滋賀県立安土城考古博物館」や、安土城天主5、6階部分の原寸復元を展示する「安土城天主 信長の館」もあり、信長&安土桃山ファンならもうひたすらに楽しい場所だ。

▲滋賀県立安土城考古博物館。織田信長や安土城をテーマにした展示が人気

おまけに、そのお隣にあるレストランの名物は「信長ハンバーグ」である。ハンバーグのわんぱく感によって、信長の威厳が中和されているのがおかしかった。

▲「信長うどん」もあった

さて、今回は滋賀県立安土城考古博物館で、貴重なお話を伺うことができた。ご対応いただいたのは、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の松下浩さんだ。

▲松下浩さん。安土城跡の発掘調査に長く携わってきた

松下さんは安土城跡の発掘調査を行う「滋賀県安土城郭調査研究所」のメンバー。平成元年から20年にわたり行われた大規模調査では、2年目からチームに参加。担当は古文書の調査・解析である。

さっそく松下さんに聞いてみよう。ズバリ、信長は天主に住んでいたんでしょうか?

松下さん「いえ、正直なところ信長が天主に住んでいたかどうか、ハッキリとしたことは分かっていないんですよ」

ガーン…である。4時間かけてはるばる東京からやってきたが、とんだ無駄足だった。

ああそうですか、では琵琶湖でも見て帰りましょうかねと腰を上げたところ、松下さんからこんな言葉が。

松下さん「ただ、安土城にまつわる文献を読み解くことで、“おそらく天主に信長が住んだであろう”という推測は成り立ちます」

▲おお、松下さん!