Column / 2019 02,22 /Vol.1

天守閣の住み心地 vol.1
天守閣に住んだのは唯一、織田信長だけ?
幻の「安土城天主」その“住み心地”を考察してみる

日本の城の天守閣が居住空間として使用された例は少なく、唯一日常生活を送っていたといわれるのが織田信長だ。安土城の天主で信長はどんな生活をしていたのだろうか考察すべく、現地を訪れた。

■『信長公記』から読み解く、安土城天主の姿

その文献とは、信長の家臣・太田牛一による『信長公記(しんちょうこうき)』。牛一は安土城下に屋敷を持っていたといわれ、『信長公記』には在りし日の安土城の全容、天主の詳細についても書き残されている。かつての安土城を知る、もっとも有力かつ唯一の史料であるという。

松下さん「『信長公記』によると、天主の部屋の中は障壁画で飾られていたり、金具にも装飾が施されていたりと、まるで『御殿』のように華やかなものであったといいます。本来、城主が暮らす本丸御殿に見られるような装飾が安土城の天主にもあったとの記述から、そこが御殿のような役割を果たしていたのではないか、信長が暮らしていたのではないかという推測が成り立つわけです」

▲現在の安土山。かつてこの頂に信長が住んでいたと思うと背筋が伸びまくる

ちなみに、安土城の本丸にも御殿は存在したようだ。だが、こちらは信長の居住用ではなく、また別の用途で使われていたとの説が有力であるという。

松下さん「これも『信長公記』によれば、安土城の本丸御殿は行幸の間、つまり天皇をお迎えするための部屋であったとされています。そのため、普段使いするようなものではなかった。となると、他に信長が日常的に暮らしていたのはどこなのか? やはり天主だろうと考えられます」

▲平成の発掘調査で発見された「大手道」。天皇をお迎えするための道だったのではないかと考えられている(画像提供:滋賀県教育委員会)

■安土城天主は日本初の高層住居?

では、安土城天主とはいったいどんな「住まい」だったのか? 改めてその特徴を掘り下げてみよう。

松下さん「天主は五層七階という、非常に高層でした。ちなみに安土城以前に、そこまで高い天主が城内に築かれた例はありません。おそらく安土城の天主には、それまでの権力者とは違う、自分こそが天下人であるということを内外に示す、信長の意志が込められているのではないでしょうか」

▲安土山の全容。ほぼ中央の山頂付近に本丸、天主がある

標高199メートルの安土山のてっぺん、そこに建てられた高層の天主。5階部分の外側にはぐるりと縁側が作られ、そこから周囲の景色を眺めることができた。それはもう、タワマンも真っ青の絶景だろうし、まさに天下を手中に収めたような気分だったに違いない。

松下さん「安土山は近江のほぼ真ん中に位置します。その頂にあった天主からは近江全体、琵琶湖や周囲の山々まで見渡せたのではないかと思います。それほど奥深い山城ではありませんから、周囲からも城がよく見え、逆に自分も周囲を見渡しやすい。そういう立地だったのではないでしょうか」

▲信長もうっとり景色を眺めたのだろうか……