Column / 2019 03,22 /Vol.2

天守閣の住み心地 vol.2
トイレは9箇所、台所完備、リビングは50畳…
姫路城天守閣の“住み心地”を考察してみる

実際に城主が住んだという記録はないものの、「住もうと思えば住める」レベルの設備を有していた「姫路城」。というわけで、今回は「姫路城天守閣の住み心地」を検証してみた。

榎並紀行(やじろべえ)

東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は話せません。
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かつて日本に築かれた城の多くが、立派な「天守閣」を有している。

巨大な天守閣にはいかにも「権力の中枢」、「お殿様の居場所」といったイメージがあるが、実際に天守閣に暮らした城主はほとんどいないのだという。それどころか、平時における天守閣はこれといった使い道がなく、巨大な「物置」と化してしまうことも多かったのだそうだ。ロフトを使いこなせずいつの間にか物置になっちゃうことはよくあるが、天守閣もそうだったのか。

しかし、唯一の例外として安土城天守閣に暮らした織田信長の例がある。前回の記事では、識者への聞き込みや関連文献をもとに、その「住み心地」を検証した。

また、実際に城主が住んだという記録はないものの、天守群に台所や厠(トイレ)、広間などがあり、居住に耐えうる、つまり「住もうと思えば住める」レベルの設備を有していたのが「姫路城」の天守閣である。

というわけで、今回は「姫路城天守閣の住み心地」を検証してみたい。

■将軍の籠城計画もあった姫路城天守閣

上沼恵美子はかつて「実家は大阪城」と言い放った。豪儀な話である。成功者のゴールはお城に、それも天守閣に住むことなのかもしれない。

▲そんなことを考えながら、やってきたのは兵庫県姫路市

姫路城の最寄り駅は姫路駅。駅を出ると、正面にどーんと大天守閣がそびえている。江戸時代初期に建てられた当時の姿を、現在も仰ぎ見ることができる。

▲お話を伺うのは、姫路市立城郭研究室・学芸員の工藤茂博さん

姫路城に着くと、姫路市立城郭研究室・学芸員の工藤茂博さんが出迎えてくれた。1980年代から姫路城の研究に携わっている。

「取材はお受けします。が、非常に難しい問いです」

天守閣の住み心地について教えてください。事前にそうメールで打診したところ、上記のような返信があった。この道30年のベテラン研究者を困惑させてしまうほどの難問、いや、とんちんかんな「珍問」だったのだろう。

工藤さん「ご存じの通り、天守閣は人を住むことを前提に作られたものではありません。戦国時代から江戸時代にかけて築かれた立派な天守閣は、城主の権威を内外にアピールするためのものでした。ですから、世の中が安定したら使い道がなく、燃えたり壊れたりしてもそのままです。姫路城も、普段は“大きな倉庫”として使用されていたと考えられます」

▲ずいぶんと贅沢な倉庫があったもんである

しかし……と工藤さんは続ける。

工藤さん「姫路城天守閣の地下には合計9カ所の厠(トイレ)があり、また、天守群の中に台所が組み込まれています。これは、他の城にはあまり見られない特徴です。これはやはり、合戦の際に“籠城”することをある程度想定したものではないかと思います」

つまり、天主閣に寝泊まりすることは可能だと?

工藤さん「そうですね。姫路城は一度も攻め込まれたことがないため、実際に籠城に使われた記録は残っていません。しかし、じつは第二次長州戦争の際に徳川家茂が姫路城に来る計画がありました。その際、有事の際の将軍の避難先として、天守閣の二重目(2階)が検討されていたとの記録も残っています」

結局、将軍の姫路入りは実現しなかったというが、もしかしたら当時の最高権力者が暮らしていたかもしれない姫路城天守閣。いったいどんな構造、間取り、設備になっているのだろうか? 「住む」という視点から、内部をチェックしてみよう。

▲天守群の全体図。大天守と3基の小天守が連結している