Interview / 2018 01,29Vol.3

シニアダンスチーム Japan Pom Pom代表 滝野文恵さん

自分らしい生き方をしている人を訪ね、その暮らしの様子や思いをお聞きする企画「Tokyo go my own way」。

今回お伺いしたのは、シニアチアダンスチーム Japan Pom Pom代表、滝野文恵さん。平均年齢70歳のチアダンスチームの創始者であり、今も現役で活動をしている滝野さんは、本当にエネルギッシュ。滝野さんがチアダンスを始めるまでのこと、そして、始めてからのお話をお伺いしました。

滝野文恵さん(86)

Japan Pom Pom代表。
シニアチアダンスチーム代表として、国内外で公演を重ねる。

まずは昔のお話から聞かせてください。大学時代はどんな生活を送っていたんですか?

Question.01

最初に短大へ2年行ったあとに、関西学院大学の英文科へ編入したんです。短大にいた頃、たまたま関西学院大学の馬術部の練習を見る機会があったの。それで、もともと運動が好きだったし、自分もやりたい! と思って。大学生の頃はほとんど遊んでいたわ。朝から馬術部の練習へ行って、夜は社交ダンスをして…。とっても楽しかった。
当時、大学へ行く女性なんてほんの一握り。私のいた学科は、同じ学年に女性は10人ほどでした。高学歴の女性は結婚できない、なんて言われていた時代だった。

卒業後は何をされていたんですか?

Question.02

アメリカへ留学していました。大学卒業後の1954年、終戦直後でしたね。人や建物…とにかく、全てのスケールが大きい。こんなに大きな国と戦っていたのか、と衝撃を受けたのを覚えてるわ。あと、トイレットペーパーにも驚いた。当時の日本じゃ、資源が足りなくて新聞紙を使っていたから。それが、あちらの国じゃ公衆トイレにも備えてあるんだもの。今聞いたら笑っちゃうかしら。

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大学時代、馬術部で練習をする滝野さん

留学後はどんなことを?

Question.03

留学後は、住友金属で1年半ほどお勤めしました。そのあと、結婚。最初は関西にいたのだけれど、夫が東京へ転勤になったので、30歳の頃に二人の子どもを連れて、東京へ移りました。1962年あたりかな。朝から市場が開いてなかったり、値引きしてくれなかったり、お買い物の勝手が違うから、最初は戸惑ったわ。「東京の人は商売が下手ね~」なんて、よく言ってた。まあ、戸惑ったのは私だけじゃなかったみたいね。東京の文京区へ移り住んだとき、派手なのが来たぞって噂になったらしくて(笑)。夏場にショートパンツを履いていたからでしょうね。もともと住んでいた神戸の芦屋なんかじゃ、あんまり目立ってなかったと思ったんだけど。

ご結婚されてから、専業主婦をされてたんですよね。子育て中に熱中していたことは?

Question.04

子育て中は、帽子づくりやお習字、ゴルフ、木彫り…いろんな習い事をしていたわ。飽きたらすぐやめて、また新しいことを始めて。それと車に乗ることも大好きだった、運転が大好きなのよ。留学から戻ってすぐに免許を取って、東京に来たときに義母が車を買ってくれました。どこへ行くにも、車じゃないと出かけなかったくらい。もう免許は返上してしまったけれど、子どもが小さいころは休みのたびに車で関西の実家へ帰っていたし、53歳で2回目に留学したときは、お友だちと一緒に車でアメリカを縦横断したわ。ほぼ私が運転したのよ。

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