大規模複合施設「ミチノテラス豊洲」開業、
2021年10月下旬よりオフィスの入居開始

2021年8月末に、清水建設株式会社は「(仮称)豊洲六丁目4-2・3街区プロジェクト」開発区域内に、大規模賃貸オフィスビル「メブクス豊洲」を竣工。10月下旬からテナント企業の入居が始まりました。本開発区域は「ミチノテラス豊洲」と命名され、2022年春にはアーバンリゾートホテル「ラビスタ東京ベイ」、街区中央の交通広場のバスターミナル機能を核とした都市型道の駅「豊洲MiCHiの駅」の開業を予定しています。

■メブクス豊洲(MEBKS TOYOSU)

外観

地上12階、延床面積約88,000m2。1階が店舗・駐車場・交通広場、2階が店舗・オフィスエントランスホール・広場状デッキ、3~11階がオフィススペース、12階が屋上庭園となっています。また、建物オペレーティングシステム「DX-Core」を導入し、館内の混雑状況確認や会議室予約などオフィスワーカーの生産性・利便性向上に資する先進的サービスを提供しているのも特徴的です。

■ラビスタ東京ベイ

外観イメージ

2022年春、株式会社共立メンテナンスが運営する「ラビスタ東京ベイ」が開業予定。客室数は582室。最上階には天然温泉大浴場、エステ、プールを備え、豊洲エリアでは最大規模のホテルとなる計画です。

■豊洲MiCHiの駅

メブクス豊洲1階にある交通広場上部の広場状デッキ(完成予想図)

メブスク豊洲とラビスタ東京ベイの中間に配置されるバスターミナルを中心に、憩い、情報発信、災害対応の場としての機能を担う”都市型道の駅”。バスターミナルには、都心と接続する東京BRT(バス高速輸送システム)、羽田・成田空港と接続する高速バスが乗り入れる予定。
バスターミナルの上部を覆うように設置されるデッキは憩いや交流、賑わいの場として活用され、さらに、移動型店舗サービスによる飲食・物販店を展開する計画です。

2026年度竣工予定 地上56階・高さ約189mの超高層ツインタワーマンション計画、「豊海地区第一種市街地再開発事業」

イメージパース

東京都心と臨海副都心に近接する東京都中央区豊海町2丁目及び勝どき6丁目地内で進行中の「豊海地区第一種市街地再開発事業」。地上56階・高さ約189mの超高層ツインタワーマンションで、総戸数は2,150戸となる計画です。竣工は2026年、供用開始は2027年予定。水辺の豊かな自然環境と住環境が調和した質の高い住宅と生活支援施設等の整備により、人々が快適に暮らし交流できる生活空間の形成を目指しています。

「銀座・築地周辺みどりのプロムナード構想」で2040年代の中央区はどう変わる?

イメージ図(出典:中央区資料)

中央区は、銀座・築地周辺をサークル上につなげる「銀座・築地周辺みどりのプロムナード構想」を策定。プロムナードには、47都道府県の花や木を植え、都心にいながら日本の自然の豊かさを感じられる「スカイガーデン」を配置するなど、銀座・築地エリアのポテンシャルを活かしながら、日本国内の魅力を世界に発信する緑のアメニティ空間を創出する計画です。また、銀座・築地周辺みどりのプロムナードを起点に、築地市場跡地の再開発、浜離宮恩賜庭園、隅田川など広範囲にわたって歩行者ネットワークを形成。回遊性を高め、エリア全体に賑わいを創出します。

〈参考サイト〉
■清水建設ニュースリリース
https://www.shimz.co.jp/company/about/news-release/2021/2021035.html
https://www.shimz.co.jp/company/about/news-release/2020/2019055.html
■豊海地区第一種市街地再開発事業(東京都都市整備局)
https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/cpproject/field/toyomi/saikaihatsu_1.html
■「豊海地区第一種市街地再開発事業」事後調査計画書(東京都環境局)
https://www.kankyo.metro.tokyo.lg.jp/assessment/information/toshokohyo/publishdetail/335_toyomi_tosho_jigok.html
■ラビスタ東京ベイ公式HP
https://www.hotespa.net/resort/hotellist/la_tokyobay/

湾岸Time Machine 過去・現在・未来
近未来的な超高層住宅地「大川端リバーシティ21」の歴史
江戸時代から昭和・平成の佃島にタイムスリップ!
下町風情が残る佃島の北側に、タワーマンションが林立し、都会的な景色が広がるエリアがあります。ここが、湾岸エリア再開発の火付け役「大川端リバーシティ21」です。かつては石川島と呼ばれる島で、江戸時代には人足寄場という浮浪人収容所がありましたが、明治時代になると石川島平野造船所(現・IHI)が設立され工業地帯として発展。
その後、1979年に、石川島播磨重工業(社名変更)が三井不動産と日本住宅公団(現・都市再生機構)に売却し大規模開発が行われました。こうして、2000年に、日本初となる地上40階建の高層マンションが完成。2001年には「晴海アイランドトリトンスクエア」、2003年には「アイ・マークタワー」など周辺で行われていた再開発も続々と完成を迎えました。

国家戦略特区「芝浦一丁目プロジェクト」2021年10月1日着工

計画の概要は?

周辺イメージパース 提供:JR東日本

2021年10月1日、国家戦略特別区域計画の特定事業「芝浦一丁目プロジェクト」が着工になりました。野村不動産株式会社・野村不動産ビルディング株式会社と、東日本旅客鉄道株式会社が共同で推進しているプロジェクトで、浜松町ビルディングの建替事業として、今回着工したS棟と、2027年度着工のN棟からなるツインタワーの建設を予定しています。
同プロジェクトは、区域面積約4.7ha、高さ約235m、延床面積約55万m2の、オフィス・ホテル・商業施設・住宅を含む、約10年間に及ぶ大規模複合開発で、S棟は2024年度、全体は2030年度に竣工予定です。

街区全体でCO2排出量実質ゼロを実現予定

CO2排出量実質ゼロ概念図

同プロジェクトでは、最新の省エネ・省CO2技術や、「自社施設等での創電」による再生可能エネルギー、「カーボンニュートラル都市ガス」の導入等により、街区全体でCO2排出量実質ゼロを実現予定。気候変動対策にも取り組みます。
さらに、気候変動に伴う水害等の対策として、万が一の浸水に備えて重要電気諸施設を2階以上に設置。その他、地下重要施設にも水密扉を設置したり、内水氾濫対策として雨水等対応のための緊急遮断弁を設けるなどの対策を講じます。

(仮称)港南二丁目プロジェクト 2022年7月31日竣工予定

外観(工事中)

大林新星和不動産は、東京都港区港南2丁目の旧IGIN本社ビル跡地に地上12階・地下1階、高さ57m、延べ面積16,334m2のオフィスビルを建設中。
2022年7月末に竣工予定で設計・施工は大林組。設計段階等でBIMが活用されていることが特徴となっています。

JR品川駅北口改良工事と駅ビル整備 2022年8月上旬着工予定

北側コンコースのイメージ図 改札(新設)

JR東日本管内で乗車人数が5番目に多いターミナル駅となる品川駅。通勤・通学時間帯は北側コンコース・自由通路が混雑し、また山手線外回り(渋谷・新宿方面)と京浜東北線(大宮方面)はホームが別のため、乗り換えの際、階段・コンコースの経由が必要でした。そこで、乗り換えの利便性向上及び混雑緩和のため改良工事を計画。駅ビル整備を含め、10階建高さ59mの高層ビルが建設される予定であり、2022年8月上旬に工事が着工すると発表されました。
まず、これまで階段・コンコース経由での乗り換えが必要だった山手線外回り(渋谷・新宿方面)と京浜東北線(大宮方面)を、停車番線及び拡幅工事を行うことにより、同一ホームで乗り換え可能に。また、北側コンコース内に改札口を2か所新設し、通路を拡幅。さらに、北側コンコースと各ホームを接続するエレベーターを8か所設置することで混雑緩和やバリアフリールートの拡充などを図ります。

北側コンコースの改良概念図

山手線・京浜東北線のホーム改良ステップ図
提供:JR東日本

〈参考サイト〉
■品川駅のお乗り換え利便性向上と混雑緩和及びバリアフリールートの拡充に取り組みます(プレスリリース)
https://www.jreast.co.jp/press/2018/tokyo/20190226_t01.pdf
■「芝一丁目プロジェクト」10月1日に着工(プレスリリース)
https://www.jreast.co.jp/press/2021/20210928_ho01.pdf
■写真今昔物語 第1話 港区HP
https://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/kuse/koho/konjaku/konjaku01.html

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かつて魚市場だった「田町」駅。徳川家康、そして江戸幕府とも深い縁のあった芝雑魚場とは?
江戸時代の田町にタイムスリップ!
江戸時代、田町駅のあたりは海に面しており、古典落語「芝浜」の舞台にもなった漁港がありました。そこには、本芝浦と金杉浦という2つの漁村があり、将軍家に海産物を上納していた8漁村「御菜八ヶ浦」に数えられていました。彼らは、東海道の往来で庶民相手に大衆魚も商っていたといいます。それが、「雑魚場」と呼ばれた魚市場です。
しかし、明治時代になり、新橋-横浜間に鉄道が開通。周辺の埋め立てや漁獲高の減少に伴い、次第に漁業は衰退していきます。かろうじて船が係留する入江が残っていましたが、1970年には埋め立てられ、区立本芝公園に生まれ変わりました。

(画像:雜魚場(現:本芝公園) 昭和42年頃撮影)
(出典:港区オープンデータ)