「プラザ勝どき」の建替え計画 
延床面積約6万㎡の再開発

外航海運事業や倉庫業・不動産事業などを展開する乾汽船は、地上14階建てマンション3棟で構成された「プラザ勝どき」(東京都中央区勝どき1丁目1-1)の建替計画「ネオプラザ勝どき(Neo Plaza Kachidoki)」を2023年4月~2026年3月中期経営計画で発表しました。

新たな施設の完成イメージ
乾汽船株式会社 2023年4月~2026年3月中期経営計画(2023年4月3日)より引用

次世代の超都心レジデンスを目指す取り組み

同社は不動産事業として、プラザ勝どきの近隣に全644室からなるシェアハウス型の企業寮「月島荘」、「勝どき」駅徒歩3分、全521戸からなる地上43階建ての超高層賃貸マンション「プラザタワー勝どき」を運営しており、この度10年の構想期間を経て「プラザ勝どき」の建て替えを実現する運びとなりました。同社はこれまでに「月島荘」や「プラザタワー勝どき」による先進的企画の実証実験を行っており、「ネオプラザ勝どき」は次世代の超都心レジデンスをコンセプトに掲げる先進的なレジデンスとして建設される予定です。詳細は明らかになっていませんが超高層タワーの建設を含む敷地面積約9,000㎡の大規模再開発で、2025年に解体着手、2030年竣工予定です。

プラザ勝どき(ネオプラザ勝どき)・プラザタワー勝どき・月島荘 位置図

東京2020大会競技場跡地に
2023年5月「有明GYM-EX」が開業

東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会で、体操競技、新体操、トランポリン、ボッチャの会場として使用された「有明体操競技場」が、大型展示場「有明GYM-EX(ジメックス)」に生まれ変わり、2023年5月にグランドオープンしました。名称は、地名(有明)、体操競技場であった経緯(「体操」を示す「GYMnastics」)及び展示場であること(「展示会」を示す「EXhibition」)を表現しています。同施設は、東京都が都内中小企業振興のために整備した展示場で、会場の運営は、株式会社東京ビッグサイト(東京都江東区)が行います。

有明GYM-EX 位置図

湾岸Time Machine 過去・現在・未来江東区の大部分は海だった。江戸時代の江東区にタイムスリップ
江戸時代以前、江東区のあたりは、東京湾に注ぐ河川のデルタ地帯の一部で、海に小島が点在するばかりでした。徳川家康が江戸に入った頃は、亀戸2・3・5・8・9丁目辺りに土地があった程度だったといいます。その後、家康の江戸都市建設とともに埋め立て開拓が始まります。慶長期(1596~1615)は、深川八郎右衛門が森下周辺の新田開発を行い、深川村を創立。万治2年(1659)には、砂村新左衛門一族が、宝六島周辺の新田開発を行い、砂村新田と呼ばれました。明暦3年(1657)の大火後には、幕府は火事に強いまちづくりに取組み、大火の一因となった材木置き場を郊外に置くことに。最初に永代島(現在の佐賀、永代、福住辺り)に移され、元禄14年(1701)に現在の木場に移転させました。さらに、土地の開発が進むと、深川地区には、武家屋敷や社寺が置かれるようになり、正徳期(1711~1716)には、市街地に編入されました。その後も、土地開発が繰り返され、現在もなお、発展を続けています。
(資料提供元:「まちの記憶と未来展」江東区土木部河川公園課)

田町駅直結「森永プラザビル」建て替えへ。
地上23階のオフィスビルへ生まれ変わる

1974年に竣工した、JR田町駅に直結する「森永プラザビル」が、老朽化に伴い建て替えすることに決まりました。報道によると、入居する森永乳業株式会社本社の移転が完了する2024年度に解体工事が始まり、2025年度に新築工事に着手、2028年度に竣工予定となっています。

田町の新たなシンボルとなる。

完成後には、地上23階、高さ約125mのオフィスビルとなり、事務所、店舗、産業支援施設が入居。シェアオフィスやコワーキングスペースなどスタートアップ企業の育成・支援拠点も整備されます。この新ビルは、田町駅周辺のランドマークとして注目されており、地元のビジネスコミュニティにとっても重要な拠点となるでしょう。計画通りに進めば、2028年度には田町エリアの新たなシンボルとして完成する予定です。

現在の森永プラザビル

田町駅周辺の環境改善も図られる予定

森永プラザビルの建て替えに伴い、田町駅周辺の環境整備も計画されています。完成後には、約3,000㎡の交通広場が整備され、交差点の改良によって交通結節機能が強化されます。また、駅前デッキ広場の設置や、駅構内の東西自由通路の拡張も計画されており、利用者の利便性向上を図る計画です。これによって、田町駅周辺の快適な移動環境が整備され、地域の発展に寄与することが期待されています。全体完成は2033年度予定です。

田町駅周辺の再開発計画 位置図

天王洲アイルに地上34階のタワーマンション建設計画

三井不動産レジデンシャルによる(仮称)品川区東品川2丁目計画

天王洲運河の東側に面する位置に、地上34階、高さ124.9m、延床面積2万9985.45㎡のタワーマンションが建設されることが明らかになりました。建築主は三井不動産レジデンシャル、設計・施工者は長谷工コーポレーション。2024年1月着工、2027年5月竣工予定となっています。当マンションは天王洲運河を眼下に見下ろすウォーターフロントに建設され、交通アクセスも充実しています。東京モノレールやりんかい線の「天王洲アイル」駅からは徒歩5分程度でアクセス可能な立地で、京急本線「新馬場」駅からも徒歩でアクセスが可能です。計画の詳細は未公開ですが、共同住宅と店舗の用途が予定されており、地域の新たなランドマークマンションとして注目されることになりそうです。

(仮称)品川区東品川2丁目計画 位置図

計画地(2022年7月現在)

湾岸Time Machine 過去・現在・未来品川区に品川駅がない理由とは?明治時代の品川にタイムスリップ
日本有数のターミナル駅である品川駅。しかし、品川駅を出るとそこは「品川」ではないのです。品川駅の東側は港区港南、西側は港区高輪で品川駅も品川区にはありません。では、なぜ「品川」駅と名付けられたのでしょうか。
「品川」は元々、目黒川の河口付近の地域を指す地名でした。江戸時代には宿場町「品川宿」として栄えていた地域です。明治時代になり、鉄道建設が計画されると、「品川宿に駅を置くと宿が廃れる」との反対を受け、品川宿から離れた場所に品川駅を置いたと、一説にいわれてきました。しかし、実際に、そこが「品川」だったという資料もあります。品川駅がある場所は、明治4年まで「品川県」だったのです。品川県は、東京23区の南西部、武蔵野、横浜も含む広大な範囲でしたが、廃藩置県の再編成により2年で消滅しました。品川駅の開業は明治5年で、その時にはすでに品川ではなくなっていましたが、鉄道を計画した当時は確かに「品川県」だったのです。
(画像:品川宿付近、旧東海道(現在の様子))