【小石川】Over30Age、幾つの坂を超えればいいの? 大殺界・ミョウガ、そして銭湯

目次
  1. 【小石川の基本情報】
  2. 坂の町・小石川を超えていく
  3. 気高い教養の街・小石川での出会い
  4. 住民の憩いの場 『小石川植物園』
  5. 歌舞伎湯に魅せられて
  6. 忘れないまま、生きていく
記事カテゴリ 首都圏 東京23区
2019.01.24

「ミョウガを食べると忘れっぽくなる」
誰からこの知識を聞いたのだったろうか。
それすらも忘れてしまうような年齢を迎えた平成最後の夏。

猛暑で多くの人々が疲弊するなか、私も漏れなく憔悴していた。

それは暑さのせいでもあったし、
いつまでも改善されないワークライフバランスのせいでもあった。
長年付き合った彼と音信不通になってしまったせいもあったかもしれない(原因の大部分、ここ)。

とにかくこの夏は、かつて一世を風靡した占い師の言葉を借りるなら、 『大殺界らしい』 、苦しい夏だった。

そんな暑さも追い払われた11月のある日。
東急メトロの路線図をぼんやりと眺めていた私の視界に
「茗荷谷」 という駅名が飛び込んできた。

そういえばこの夏、私は忙しさに追われすぎて、大好きなミョウガを食べなかったことに気がついた。
茗荷谷だからって、ミョウガがあるわけじゃない。

でも、その冗談みたいなタイミングは、一人の疲れた女性を突き動かす十分なきっかけになった。

気づけば私はふと、茗荷谷に逃げていた。

【小石川の基本情報】

駅名: 東京地下鉄(東京メトロ)丸ノ内線「茗荷谷」
ランドマーク: 小石川植物園・筑波大学など

■坂の町・小石川を超えていく

▲小石川地図

茗荷谷駅に降り立ち、とりあえずGoogle Mapで茗荷谷と検索をしてみた。このとき私は、茗荷谷駅の東側から春日・後楽園までの一帯を『小石川』と呼ぶことを初めて知った。上記地図の赤いエリアが小石川にあたる。

数多くの文豪・政財界人が愛したという気高い小石川は、現在は筑波大学・御茶ノ水大学・東京大学、各大学の附属校などが居を構える学問の街となっている。街にどことなく品が漂っているのは、教養からくるものなのかもしれない。

▲筑波大学のエントランス

少し歩いたところで、小石川には坂が多いことに気がついた。

茗荷坂
播磨坂
藤坂
切支丹坂
釈迦坂

「そうか、ここは坂の町なのか」と、ぼんやりと思った。

▲春になると美しい桜並木を見せる播磨坂

▲坂!坂!

最初は「坂道にも、けっこう住宅があるんだなぁ」とか「スーパーもあるんだ」とか「こんな狭い坂、アニメの世界みたいだな」とか、とりとめもない思いを巡らせて歩いていた。しかし、いくつもの坂を越えるうちに突然、遠い昔の昼下がりを思い出した。

幼稚園の頃、今は亡き母を追いかけて、坂を全力で走っていた日のこと。
昼寝から起きた私は母が居ないことに気がついた。そして小高い場所にあった当時の家を飛び出し、泣きながら坂をかけおりていった。

多分、母は買い物か何かに“ちょっと”出かけていたのだと思う。しかし幼児の私にとって母の不在は、この世の終わりと同等の絶望を与えるものだった。私は、数十年後話題になる”あの号泣議員“に負けないくらいの嗚咽を漏らしながら、坂を全力で走った。しかし、ほんの数メートルで幼馴染のお母さん(ジョン・レノン似)に偶然出会い、手際よく回収されたーー記憶はここで終わる。

▲待ち受けにしている幼少期の家族写真。12月24日にスクショを撮る暇がある悲しみを感じ取ってほしい

そんな思い出に浸ったせいか、そこから坂を越えるたびに、すれ違う光景がすべて幼い頃の風景と重なるようになった。

ベビーカーを押す家族
両脇に建つファミリー向けマンション
優しく声をかけてくれるご年配の方々

ちょっぴり温かい気持ちと切ない気持ちで、心を満たしてくれた。

「小石川、なんだか好きな街かもしれない」、そう思った。

▲駅前にはスーパーがあって生活も便利
▲駅近くの大通りは人通りも多く治安も良さげ
▲坂道にあった青果店
▲駅すぐの『教育の森公園』。老若男女が思い思いに寛いでいた

⇒茗荷谷駅周辺の物件一覧をみる

■気高い教養の街・小石川での出会い

そんな小石川を歩き回っている際、ひょんなことがきっかけで出会ったのが、 享保2年から続く 老舗漆器店・會津屋   の店長 杉田幸一郎さん だ。

杉田さんは、色々なことを教えてくれた。

杉田さんが昔からこのあたりに住んでいること
このエリアは4つの沿線(丸の内線・南北線・大江戸線・三田線)があって、とても利便性が良いこと
小石川には有名なイタリアンやフレンチがいっぱいあること
美味しいパン屋さんがあること
レンタサイクルで走ると気持ちがいいこと
近くで産直青果店を営むお友達がいること
こんにゃく閻魔様と呼ばれる閻魔様がいる源覚寺のこと

とにかく小石川のいろんなことを、穏やかに教えてくれた。

▲品の良い漆器や陶磁器が並ぶ素敵なお店だった

初対面の私にあんなに優しくしてくれた杉田さんには、今でも感謝しきれない。この街の情報が全くない私は、杉田さんの教えてくれたおすすめスポットといくつかの寺院を巡る推奨ルートをそのまま受け取り、改めて小石川を散策してみた。

▲色々書き込んでくれた地図
▲教えてもらった人気のパン屋さんIENA
▲眼病治癒にご利益があるという『源覚寺』のこんにゃく閻魔様
▲徳川家康が亡き母のために建設したという伝通院(でんづういん)。とても立派な外観
▲(左)厄除けの澤蔵司稲荷(たくぞうすいなり)。付近在住と思われるマダムがこのお寺を通り過ぎる際に、習慣のように一礼をしていたのが印象的だった
(右)鳥居が洋風でかわいい境内
▲(左)澤蔵司稲荷には霊窟が
(右)進むと鳥居が迎えてくれる、ちょっと穴場感。
▲(左)産直の野菜と果物、木炭を扱う『齋藤商店』
(右)コーヒーショップ『Karta Coffee』

杉田さんが運営する『小石川びより』は コチラ

■住民の憩いの場 『小石川植物園』

小石川で外せないスポットといえば、小石川周辺の地図の中でもひときわ目立つ「小石川植物園」だ。

▲ちょっとでかすぎじゃない?

朝10時から茗荷谷駅から小石川エリアをぶらりと歩き、小石川植物園にたどり着いたのは午後2時頃だったように思う。

小石川植物園の正式名称は、『 東京大学大学院理学系研究科附属植物園』 。名前からわかるように、あの東京大学の教育実習施設だ。 日本で最も古い植物園であり、しかも、世界でも有数の歴史を誇る植物園のひとつなのだが、料金さえ払えば誰でも入園できる(留意事項があるため、訪問する際はホームページ を要確認)。

▲私が入園した日は、甘く爽やかな香りがするかりんを配布していて、近隣のご家族やマダムがお持ち帰りをしていた
▲(左)『メンデルのブドウ』メンデルの法則で有名なグレゴール・ヨハン・メンデルが、研究のために育てていたブドウの分株。
(右)『ニュートンのリンゴ』物理学者サー・アイザック・ニュートンが、「万有引力の法則」を発見するきっかけになった生家にあったリンゴの木の分株。

植物分類標本園という広場にはベンチがいくつかあり、のんびりと過ごすことができた。気候の良い日は、小石川に住んでいるであろう多くの家族達が、食事をしたり談笑をしたりして寛いでいるようだ。

▲このとき食べた、IENAのカレーパンの美味しさは忘れられない

広場を後にした後、私はすぐに道に迷った。明らかにメジャーではないであろうルートの林道に入ってしまったのだ。植物園なだけあり蜘蛛の巣なども自然のままで、正直怖かったが、なんとなしに進んでいると、だんだんと道っぽくなってきて、最後には目の前に美しい建物が現れた。

小石川分館(旧東京医学校)という、旧東京医学校の本館だ。美しく広大な池・整備された芝生・レトロなえんじ色の建物。俗っぽい私は、数年前に小説からドラマ化して大ヒットした、財閥一族の邸宅を思い出した。それほどに現実離れした雰囲気を醸し出していた。

疲弊していたが、ちょっと進むだけでこんな景色が広がっていたことに感動し、不思議な達成感を味わった。そして隣には、示し合わせたかのように出口があった。まるで「もう満足したでしょう。どうぞおかえりください」とでも言っているようだった。

「東大には勝てないわ」
そう思いながら、パーフェクトに計算された美しい植物園を、私は悔いなく後にした。

■歌舞伎湯に魅せられて

最後にひとつだけ、小石川でどうしても行きたいところがあった。それがこの、歌舞伎湯だ。

杉田さんからこのエリアは銭湯がたくさんあると聞き、どうしてもどこかの銭湯に行ってみたかった。よくよく考えたら、私は人生で“銭湯らしき銭湯”に行った経験がなかったからだ。

この歌舞伎湯は常連が多く、そして番頭さんが迎え入れてくれる、まさに求めていた銭湯だった。不慣れな私がもたついていたら、常連のお母さんが、裸で色々とサポートしてくれた。強めの電気湯が名物のひとつらしく、慢性的に鈍痛を抱えている腰にかなりピリピリっときた。それが、至極心地よかった。

お風呂自体はサクッと上がったのだが、脱衣場に出た瞬間にどっと疲れに襲われた。カレーパンひとつで6時間ほど坂道を歩き続けたのだから、無理もなかった。脱衣所のマッサージチェアでけっこうな時間、気を失っていた。目覚めたときの夢心地感は、今でもたまに思い出す。

■忘れないまま、生きていく

ちょっと恥ずかしい話、私は「茗荷谷」という駅名に、何かしらを忘れさせてくれることを少し期待していた訪れた。
でも、疲れや悲しいことを忘れられたかと言うと、やっぱりそういうわけではなかった。
疲労はしっかりと蓄積されているし、悲しいことはやっぱり悲しい。

あのとき追いかけた母はもう居ないし
これから苦手な寒い冬が続くし
今も午前1:00にこの記事書いてるし
人生良くなっていくのか、よくわからない。

でも、とりあえず銭湯に行けば夢心地になれることと、険しい坂も歩き続ければ好きなれることを『小石川』という街は教えてくれた。

「ふーさっぱりした!」
とそこそこでかい声で独り言を吐き出して
私は何も忘れないまま
歌舞伎湯から駅までの坂をゆっくりとくだっていった。

らんだ (小嶋悠香)

アラサーの編集者兼、ライター。
企画・アポ取りから制作までする、何でも屋さんです(主に大阪・東京で活動)。
得意なのは、食べ物・医療・職人さんの取材。
横浜・神戸・オランダなどの転勤族なので、どの土地もどこか客観的に見つめてきました。オランダの帰国子女だから、ランダ。
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