【月島】COLUMN 高層ビルのお膝元で見つけた「江戸」。箸職人の小さな工房へ

目次
  1. 11代続く伝統と、時代を読む眼力
  2. 「いま」と「むかし」をつなぐ街
  3. 11代続く伝統と、時代を読む眼力
  4. 「いま」と「むかし」をつなぐ街
記事カテゴリ 首都圏 東京23区
2019.08.29

未来的な高層マンションが建ち並ぶ一方で、古い漁村のたたずまいが残る――東京と江戸が交差したような、都営大江戸線・東京メトロ有楽町線月島駅界隈。そんな風情あふれる街の一角から、微かに聞こえる刃物の音……。創業300有余年、江戸漆塗りの技を受け継ぐ「漆芸中島」を訪ねました。


タイムスリップしたかのような古い街を歩いていくと、掘り割りで釣り糸を垂れる男性が。その脇を抜けて瀟洒な橋を渡ると目指す工房が目の前に現れました。開け放った扉からは、小気味よいカンナの音が聞こえてきます。

朱塗りの高欄、石造りのアーチが美しい佃小橋。

笑顔で迎えてくれた中島泰英さんは、江戸時代中期、徳川吉宗の治世に創業した「漆芸中島」の11代目にして、「東京都知事賞」「優秀技能賞」など数々の受賞歴を誇る伝統工芸士。店舗を兼ねる工房には、南国の花のような、使いこまれた革製品のような、甘い匂いが漂っています。
「これが黒檀の香りだよ」

11代続く伝統と、時代を読む眼力

昭和18年(1943年)に生まれた中島さんは、10代目にあたる父親の仕事ぶりを間近に見て育ちました。当時は30人ほどの職人と、10人ほどの見習いの丁稚を抱えるお店だったといいます。
「それで俺も中学を卒業してすぐに、築地の山形屋に修業に出た。そこの親方が輪島から会津まで、漆芸の産地を渡り歩いた職人で、苦労したんだろうね。すごくできた人で、たずねれば漆の扱いから蒔絵、沈金まで、なんでも教えてくれたよ」
「仕事は目で盗め」という時代にあって、先見性に満ちた親方の下で修業を積んだ中島さんは、2年後、家業を手伝うようになります。

立ちガンナに調整を加える。カンナの刃は、使うたびにきれいに研いでおく。
もともと手先が器用だという中島さん。一級漆製造技能士の国家検定を受けたときも、実演で満点を取ったのは、数ある受験者のなかで中島さんただ1人だったそう。

「ところが景気が悪くなり、また、時代も変わっていったんだろうね。漆器が売れなくなっていったんだわ」
それでも手元には、先代、先々代が残してくれた黒檀、紫檀など、いわゆる「唐木」と呼ばれる高級資材がふんだんにあったそうです。
「昔は家の柱や床の間、仏壇、仏具に使われていて、爺さんや親父たちはそれらを加工し、漆を塗っていた。堅くて、変形することなく長もちする、“木のダイヤモンド”を使ってなにかできないか……そう考えて、50年ほど前から箸を作りはじめたんだよ」

安価な製品があふれる世にあって、もの作りに命を捧げる職人であることは、好きなだけでは務まらないといいます。
「幸いうちには資材があり、考えるより先に手を動かすなかで箸を作り、これも時代の流れがあって、テレビが取材に来て、ネットで商品が売れるようになった。人間ってやつには運否天賦がつきものだよね」
その運を掴み得たのは、たしかな技術があったからなのでしょう。
「昔からいうけれど、技術ってのは勘だよね。それと、俺は75歳になるけれど、ありがたいことに目だけはよくて、新聞なんかも楽に読めるよ」

鋼用のヤスリで箸を削る。「唐木は堅いから、1カ月半も使えばヤスリがだめになるよ」
箸先まで美しく整えられた江戸八角箸。

もう少し踏みこんで、箸づくりの要をたずねると、そういうのはないねえ、と困り顔。
「自然にこうやって削っていくだけじゃないの?」
中島さんの手による箸は、存在感のあるたしかな重みと、箸先まで整えられた美しさが際立ち、すっと手に馴染みます。よい道具を手にしたときの、背筋が伸びるような心地よい緊張感を楽しむことができます。

中島さんはリズムよく黒檀の木を削っていきます。非常に堅い唐木を削るための「立ちガンナ」は、同町内の刃物鍛冶「左久作」であつらえたもの。
「あいつも変わり者だから、いまもこうやって作っているんじゃないの」

工房では箸の販売も行なっています。上から縞黒檀の22.5cm、紫檀の22.5cm、縞黒檀の24cm、すべて¥5,000(税別)。
漆芸中島のすぐ近くにある佃煮の老舗「佃 天安本店」

「いま」と「むかし」をつなぐ街

もともと、隅田川は江戸時代の交通の大動脈でした。ところがその河口部に砂が堆積するようになり、船の交通が困難に。そこで明治20年(1887年)から浚渫(しゅんせつ)作業が始まりますが、掘り出した土砂で造成されたのが現在の月島です。対岸の築地との行き来には渡し船が使われ、船着き場に近い月島の西側には必然的に人が集まるようになり、商いが盛んになりました。かつては蒔絵師、鍛冶打ち、漆芸士職人などが住んでいたといいますが、現在は数えるほど。

ワシントン条約によって唐木の輸入が禁じられたため、中島さんの箸づくりも、いまある資材を使いきったらお終いだといいます。
「ときどき若い人が弟子にしてくれって来るんだけど、勘弁してくれって断ってるの。うちの子はふたりとも娘だけど、継がなくてよかったと思っているよ」

11代続いた漆芸中島は、泰英さんの代で幕を閉じるそう。いろいろな思いはあるのでしょうが、中島さんの気っ風のよい言葉には、みじんも湿り気はありません。職人の心意気は老舗として商いを続けることではなく、その技で生活を、ひいては時代を切り拓くことにあるのかもしれません。
「仕事を終えたら近所の立ち飲み屋でホッピーを一杯やって、バーボンを引っかける。俺はそれでいいんだわ」

江戸の暮らしを支える、交通の大動脈であった隅田川。現在は、浅草からお台場などを結ぶクルーズ船が行き来している。

中島さんの工房をあとにするとほどなくして古い酒屋が現れました。その前のひときわ広い路地では、東京都の無形文化財に登録されている盆踊りが行なわれているとか。その先には立派な御神輿をしつらえた展示館があり、かつて住吉神社の例大祭(佃祭)で、その重さのあまり、200人のけが人が出たという千貫神輿が据えられています。
「祭バカっていうのかな。佃祭になると、三日三晩飲み続けるような陽気な連中がずいぶんいたよ」

そんな中島さんの言葉を思い出しつつ、見上げる空には雲を突く高層ビル。昔日の息吹をとどめながら、新しい風がさらりと吹きぬける――――月島は、東京の古今をつなぐ不思議な場所のようです。

佃大橋から眺める佃の街並み。ここではいまとむかしが自然に融合しているよう。

■施設データ
漆芸中島
所在地:東京都中央区佃1-4-12
アクセス:都営大江戸線・東京メトロ有楽町線月島駅より徒歩約5分
問合せ:03-3531-6868
営業時間:10時~18時
休業日:不定休

⇒月島駅周辺の物件一覧をみる未来的な高層マンションが建ち並ぶ一方で、古い漁村のたたずまいが残る――東京と江戸が交差したような、都営大江戸線・東京メトロ有楽町線月島駅界隈。そんな風情あふれる街の一角から、微かに聞こえる刃物の音……。創業300有余年、江戸漆塗りの技を受け継ぐ「漆芸中島」を訪ねました。


タイムスリップしたかのような古い街を歩いていくと、掘り割りで釣り糸を垂れる男性が。その脇を抜けて瀟洒な橋を渡ると目指す工房が目の前に現れました。開け放った扉からは、小気味よいカンナの音が聞こえてきます。

朱塗りの高欄、石造りのアーチが美しい佃小橋。

笑顔で迎えてくれた中島泰英さんは、江戸時代中期、徳川吉宗の治世に創業した「漆芸中島」の11代目にして、「東京都知事賞」「優秀技能賞」など数々の受賞歴を誇る伝統工芸士。店舗を兼ねる工房には、南国の花のような、使いこまれた革製品のような、甘い匂いが漂っています。
「これが黒檀の香りだよ」

11代続く伝統と、時代を読む眼力

昭和18年(1943年)に生まれた中島さんは、10代目にあたる父親の仕事ぶりを間近に見て育ちました。当時は30人ほどの職人と、10人ほどの見習いの丁稚を抱えるお店だったといいます。
「それで俺も中学を卒業してすぐに、築地の山形屋に修業に出た。そこの親方が輪島から会津まで、漆芸の産地を渡り歩いた職人で、苦労したんだろうね。すごくできた人で、たずねれば漆の扱いから蒔絵、沈金まで、なんでも教えてくれたよ」
「仕事は目で盗め」という時代にあって、先見性に満ちた親方の下で修業を積んだ中島さんは、2年後、家業を手伝うようになります。

立ちガンナに調整を加える。カンナの刃は、使うたびにきれいに研いでおく。
もともと手先が器用だという中島さん。一級漆製造技能士の国家検定を受けたときも、実演で満点を取ったのは、数ある受験者のなかで中島さんただ1人だったそう。

「ところが景気が悪くなり、また、時代も変わっていったんだろうね。漆器が売れなくなっていったんだわ」
それでも手元には、先代、先々代が残してくれた黒檀、紫檀など、いわゆる「唐木」と呼ばれる高級資材がふんだんにあったそうです。
「昔は家の柱や床の間、仏壇、仏具に使われていて、爺さんや親父たちはそれらを加工し、漆を塗っていた。堅くて、変形することなく長もちする、“木のダイヤモンド”を使ってなにかできないか……そう考えて、50年ほど前から箸を作りはじめたんだよ」

安価な製品があふれる世にあって、もの作りに命を捧げる職人であることは、好きなだけでは務まらないといいます。
「幸いうちには資材があり、考えるより先に手を動かすなかで箸を作り、これも時代の流れがあって、テレビが取材に来て、ネットで商品が売れるようになった。人間ってやつには運否天賦がつきものだよね」
その運を掴み得たのは、たしかな技術があったからなのでしょう。
「昔からいうけれど、技術ってのは勘だよね。それと、俺は75歳になるけれど、ありがたいことに目だけはよくて、新聞なんかも楽に読めるよ」

鋼用のヤスリで箸を削る。「唐木は堅いから、1カ月半も使えばヤスリがだめになるよ」
箸先まで美しく整えられた江戸八角箸。

もう少し踏みこんで、箸づくりの要をたずねると、そういうのはないねえ、と困り顔。
「自然にこうやって削っていくだけじゃないの?」
中島さんの手による箸は、存在感のあるたしかな重みと、箸先まで整えられた美しさが際立ち、すっと手に馴染みます。よい道具を手にしたときの、背筋が伸びるような心地よい緊張感を楽しむことができます。

中島さんはリズムよく黒檀の木を削っていきます。非常に堅い唐木を削るための「立ちガンナ」は、同町内の刃物鍛冶「左久作」であつらえたもの。
「あいつも変わり者だから、いまもこうやって作っているんじゃないの」

工房では箸の販売も行なっています。上から縞黒檀の22.5cm、紫檀の22.5cm、縞黒檀の24cm、すべて¥5,000(税別)。
漆芸中島のすぐ近くにある佃煮の老舗「佃 天安本店」

「いま」と「むかし」をつなぐ街

もともと、隅田川は江戸時代の交通の大動脈でした。ところがその河口部に砂が堆積するようになり、船の交通が困難に。そこで明治20年(1887年)から浚渫(しゅんせつ)作業が始まりますが、掘り出した土砂で造成されたのが現在の月島です。対岸の築地との行き来には渡し船が使われ、船着き場に近い月島の西側には必然的に人が集まるようになり、商いが盛んになりました。かつては蒔絵師、鍛冶打ち、漆芸士職人などが住んでいたといいますが、現在は数えるほど。

ワシントン条約によって唐木の輸入が禁じられたため、中島さんの箸づくりも、いまある資材を使いきったらお終いだといいます。
「ときどき若い人が弟子にしてくれって来るんだけど、勘弁してくれって断ってるの。うちの子はふたりとも娘だけど、継がなくてよかったと思っているよ」

11代続いた漆芸中島は、泰英さんの代で幕を閉じるそう。いろいろな思いはあるのでしょうが、中島さんの気っ風のよい言葉には、みじんも湿り気はありません。職人の心意気は老舗として商いを続けることではなく、その技で生活を、ひいては時代を切り拓くことにあるのかもしれません。
「仕事を終えたら近所の立ち飲み屋でホッピーを一杯やって、バーボンを引っかける。俺はそれでいいんだわ」

江戸の暮らしを支える、交通の大動脈であった隅田川。現在は、浅草からお台場などを結ぶクルーズ船が行き来している。

中島さんの工房をあとにするとほどなくして古い酒屋が現れました。その前のひときわ広い路地では、東京都の無形文化財に登録されている盆踊りが行なわれているとか。その先には立派な御神輿をしつらえた展示館があり、かつて住吉神社の例大祭(佃祭)で、その重さのあまり、200人のけが人が出たという千貫神輿が据えられています。
「祭バカっていうのかな。佃祭になると、三日三晩飲み続けるような陽気な連中がずいぶんいたよ」

そんな中島さんの言葉を思い出しつつ、見上げる空には雲を突く高層ビル。昔日の息吹をとどめながら、新しい風がさらりと吹きぬける――――月島は、東京の古今をつなぐ不思議な場所のようです。

佃大橋から眺める佃の街並み。ここではいまとむかしが自然に融合しているよう。

■施設データ
漆芸中島
所在地:東京都中央区佃1-4-12
アクセス:都営大江戸線・東京メトロ有楽町線月島駅より徒歩約5分
問合せ:03-3531-6868
営業時間:10時~18時
休業日:不定休

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